【おまけプチ小説】 トラック5.5 『飛翔』 ————上空約1000mに浮かびし、空飛ぶ人工島。 王族達の祝い事の為だけに作られたこの地で、世界にとっては重大なイベントが行われようとしていた。 現皇帝陛下とその許嫁。2人の結婚式である。 現皇帝陛下と言えばこの世界のルールを作る王そのもの。 その彼の結婚式となれば、その規模は規格外。 なにせ空飛ぶ人工島での結婚式なんて、常人じゃ考えつかない。 やはり権力を持つ者は、趣味趣向も常人とはズレているのだろうか。 そんな皇帝陛下である彼の許嫁であり、これから妻になろうとしているのが私、ヘラである。 私の血筋は、はるか昔の女王様の血筋であり、現皇帝様と婚約を結ぶ事が掟らしい。 はるか昔の掟など古臭くて馬鹿らしいと思うけど、権力がモノを言う世界で我儘は通じない。 そんなわかりきっていてつまらない、決められた運命が嫌で、私はその皇帝が作るルールを潰そうとしていた。 ……が、それはもはや過去の話。 私は何も成せなかったのだ。無力にも……。 ……今から一年前、私は旅を諦めた。 運命を変えたくて、未来を変えたくて始めた戦いの旅。 仲間達の事を置いて、仲間達の未来を守るために私は自身の自由をドブに捨てた。 大切な人達が傷つく姿を、もう見たくない。 それなら私が未来を投げたほうがマシだ。 そうして私は、皇帝陛下との結婚を受け入れた。 そして今、私は綺麗なウェディングドレスを身にまとい、偽りの幸せの道を歩いている。 まるで幻想のような風景と、おとぎ話みたいな式場。 女であるなら、この場面にときめかないはずがなく、むしろ私の事を羨ましく思うだろう。 だけど、何も湧き上がってこなかった。 あれだけ憧れだったウェディングドレスは、私には囚人に付けられる鎖のように思え、 この尋常じゃない警備員の数と島を取り囲む戦闘機が、ここは監獄だと錯覚させる。 誰にも邪魔をさせず、私を絶対に逃がさない。 籠の中の鳥、今の私にお似合いだ。 もはや感情のない表情で、ただ私は歩いていた。 ただ未来の夫になるであろう、好きでもない男の元へ。 きっと私は、酷い顔をしている。 無気力で無感情で無関心。 そんな顔を、もう一年近くしてきた。 心は消耗し、疲れてしまった。 全てを諦めてしまった。 私の幸せも、未来も。希望も。 もう2度と、笑うこともない。 気付けば彼の隣にたどり着いていた。 結婚する男の顔を見る気にもなれない。 私はただ何も聞かず、何も見ずに突っ立っていた。 そんな私を置いて、儀式は淡々と進行されていく。 そして、彼が私のベールを外した。 私の顔を守るものはなくなり、彼との距離が近くなる。 眼前に彼が見える。 見たくもないが、見えてしまう。 それほどまでに近い距離。 そうか、私はこれから誓いのキスを彼とするんだ。 彼の妻となり、彼の一生そばにつくことになる。 私の呪い、【異性に触れられない】呪いは、 呪いというルールの管理者である彼には適用されない。 そもそもこの呪いこそが、現皇帝のモノであるという、 呪われし運命の証そのものなのだから。 もうすぐ私の唇は穢れ、純潔は散る。 ……もう、早く終わってほしい。 私は何も見たくない。 何も聞きたくない。 何も感じたくない。 何も考えたくない。 手が頬に触れた。 そんな現実をもう感じたくなくて、 私は完璧に心を閉ざした。 目を閉じ、何も聞かない。 ……なのに、瞳からは水滴が溢れ出す。 思考が止まってくれない。 頭の中の映像が止まってくれない。 目に浮かぶのは、1人の女の子。 見た目は女性だけど、本当は男の子で、 ちょっと抜けてる所や頼りない部分はあるけど、 優しくて、穏やかで、時折見せるカッコ良さ。 最後に見たのは、そんな【君】の寝顔…。 ほんの少しの後悔と願いがみせた、最後の幻想。 私の心と身体が、最後にそれを求めたのかもしれない。 私も諦めが悪い。叶うはずもないのに。 泣いたって叫んだって、叶うはずなど無いのに。 ……会いたい。会いたい。会いたい。 ああ、もしも最後に願いが叶うなら、 一度でいいから、【君】と触れ合えたら…… ————瞬間、私の身体を、大量の水滴が濡らす。 私の瞳から流れる水滴と交じり、清く洗い流すかのように。 空を見上げると、雨が降り始めていた。 普通なら天候の不調で片付くが、この場合に関しては例外だ。 近くで見張っていた警備員が騒ぎ始める。 隣の彼、皇帝陛下までも怪訝そうな表情をしていた。 人工島は空に近いとはいえ、天候に左右されないように結界が貼られている。 それによって外部からの干渉を全く受けなくなっている。 もちろん物理的な干渉も不可。 つまり、本来『雨は降ってこない』。 その異変は、1人の警備員の伝令によって辺りに波紋のように広がっていく……! 「敵襲ッ、敵襲ッッ!」 警備員達の空気が張り詰める。 慌ただしく動き始める警備員の数人が、皇帝陛下へと進言する。 「ご報告致します、何者かの手により、結界が上書きされています!」 空を見ると、人工島全体を囲うように、大量の水が覆っていた。 まるで水の監獄。完全に人工島を覆いつくし、その覆った水から雨が降り注いでるようだ。 彼は落ち着いて周りを見渡し、あくまで冷静に指示を出す。 「……すぐに結界を貼り直せ。この規模の〈結界法術〉なら、消費は激しいし長くは保たん。 それに術者は近くにいるはずだ。探し出して殺せ。〈法術〉の使用を許可する」 〈法術〉はいわゆる魔法みたいなものだ。だが、警備員は首を横に振る。 「……それが、この雨に濡れると〈法術〉が使えなくなるようでして。 しかも、すでに何人かの警備のものがすでに、急激な睡魔に襲われているとご報告が……!」 「……馬鹿な……。……ッ」 そんなやり取りの最中、彼が片膝をつく。 頭を抑え、苦しそうにしている。 もしかしたら、報告していた睡魔とやらに襲われているのかもしれない。 一体何が起きているのか。私は呆然としていた。 そうして空を見上げたその時、 ————私は、見つけてしまった。 「……ぁ……」 上空遠く、『何者か』がこちらへ向かってきている。 水の監獄から伸びる巨大な水の竜に乗り、 縦横無尽に飛び回る『何者かの姿』を。 下から放たれる警備員の銃火器を物ともせず、たった一人でこちらへ向かってくる。 水竜が雄叫びを上げる。空気が震え、警備員の表情が曇る。 奴らが怯んだ隙に水竜から飛び降りたその『男性』は、私達の数メートル先に静かに降り立った。 そしてゆっくりとこちらを見て、近づいてくる。 立ち振る舞いは、静かで落ち着いていた。 周りで慌てる警備員達とは対照的に、 雨が降るこの状況を、まるで『知っている』かのように……。 ……それが『誰』か、私には分かってしまった。 瞳から溢れ出る水滴が、この時初めて雨ではなく、涙だと自覚できるほどに。 間違えるはずもない。姿が変わっても、雰囲気は全く変わっていない。 神様に祈ったところで、何も変わらないと思って生きてきた。 だから足掻き苦しみ、最後まで戦い抜いた結果、 自分ではどうしようもないから、ただ諦めてこの運命を潔く受け入れようとした。 けれどもしも、もしもだ、 本当に神様がいるのなら、私はこの一瞬にだけ感謝するだろう。 ————私の身体が、一年の時を経て動き出す。 ————私の心が、一年の時を経て叫び出す。 ————私の時間が、一年の時を得て針を進める。 だって視線の先には、 何度も心に願った、【君】がいるから……————! 「……ッ……ァアッッ…!」 私は、走り出す。 もう数秒後には夫になるはずだった男など、すでに頭にない。 惨めたらしく、縋るように、走り、手を伸ばす。 きっと私の顔は、涙や雨でクシャクシャで酷い顔だ。 今の私に女性としての可愛さや美しさなどないだろう。 とても無様で不細工で、みっともないことだろう。 ————『そんなことは、分かっている』。 ただそれよりも、そんなことよりも、 ただただ、【君】の元へ行きたいだけ……! 「……かはっ……ケホッ……ぅッ!」 だが、叫ぼうとして声が出ない。 途中、その場で咳き込んでしまう。 胸を抑え、身体が崩れ落ちる。 もう久しく喋っていなかったから、上手く喋れない。 そんな私を見て心配したのか、私に駆け寄ってくれる【君】。 ああ、手を伸ばしてくれている。 私もただ手を伸ばして……。 「侵入者めッ、覚悟ッッ!」 だがそれを易々と許すわけがない。 数人の警備員が取り押さえようと一斉になだれ込む。 ……ダメっ……このままじゃ捕まって……。 「…………フゥッ————!!」 【君】は短く息を吐き、腰に付けた棒状の何かを取り出す。 ————それは、一本の蒼い傘。 息を呑むほど綺麗な艶を放つ、蒼い色の傘。 水を纏い蒼に染まるその傘を握り、辺りに横薙ぎの一閃。 流麗に躍りし蒼の傘先は、捉えられぬ速さで振り抜かれ、 そこに鮮やかな蒼色の軌道を残像に残す。 雨をも吹き飛ばす、荒れ狂う水を纏いし暴風がまき起こる。 辺りに吹き荒れ、何人も寄せ付けない。 空気が震え、巻き起こる暴風と水圧が周りの頑丈な人工物さえ破壊する。 飛びかかった警備員を吹き飛ばし、何事もなかったかのように、 【君】は傘を差して、降り注ぐ雨を弾いて仁王立つ。 その威力は、もはや常人のそれでは無い。 戦場に立てば、おそらく一騎当千の強さ。 その眼光は、雨の中でさえ存在感を放つ鬼神。 『邪魔をすれば、容赦しない』。 放たれた眼光からはそう言い放っているようだった。 そんな殺気と威圧を、私以外に放っていた。 唖然とする警備員の中で、リーダー格と思わしき者が警備員を下がらせる。 距離を置くように指示しているらしい。 「……気をつけろ、今のコイツと張り合うな。なんの薬かは知らんが、奴はドーピングをしている。 長くは続かんだろうが、我々だけでは足止めで精一杯。 ……ここまでのドーピングは自殺行為だ。奴め、副作用で死ぬ気か……?」 そう言っていたが、長年の思考停止で私も唖然としていて、理解が追いついていなかった。 ただ分かった事は、今この瞬間は間違いなく、【君】がこの空間を支配していた。 警備員達も、圧倒されて動けない。 「……」 瞬間、【君】が目の前の視界からいなくなる。音もなく移動した。 と思いきや、気づけば私の身体は宙を舞っていた。 敵が狼狽えた隙に、手際よく私を奪い去った。 しかも、私をお姫様だっこで抱えて。 理由は不明だが、今の【君】は男の子だから、私に触れれば呪いの電撃が流れてしまう。 だから触れられない、はずなのに……。 今なお電撃が流れているというのに、【君】は変わらず涼しい顔のまま。 さっきまでの鬼のような顔など、すでに消え去っていた。 状況に狼狽する私に、【君】は優しく微笑んだ。 「大丈夫?」 そう優しく、語りかけた。 その表情は、私の呪いなんて物ともしていない。 私の全てを邪魔してきた呪いさえ、 【君】は気にしないっていいたいのか。 全部受け止められる、そんなふうに言うのか。 ————……ああ、もう無理だ。 絶対に抑えられないこの気持ち。 今この瞬間、私は『落ちてしまった』。 呆気なく容易く、私は【君】に陥落した。 失われたはずの気力も感情も関心も、 閉ざしたはずの五感も思考も、 諦めたはずの夢や幸せや希望も、 【君】が全て、あっさり思い出させてくれた。 ドグンドグンと早打つ心臓が、うるさいくらいに聞こえる。 身体が熱い。心が燃える。言葉を失う。 どうやら私は、ただの女の子になってしまったようだ……。 「……一緒に逃げよっか?」 それを聞いて、私は吹き出してしまう。 こんな派手なことをしでかしておきながら、いつもの調子で話しかけてくる【君】。 変わらない。一年前と変わらない。 あの時のまま、私を普通の女の子にしてくれる。 私は、もう籠の中の鳥じゃない。 「……うんっ」 私が笑顔で返事をすると、ふと心地よい浮遊感に満たされる。 私を抱えたまま、空高く跳躍したのだ。 地面がみるみる遠くなり、今度は水の監獄が眼前に迫る。 そのまま私達は、島を覆う水に飛び込んだ。 水中に飛び込んだ感覚。なのに全く嫌悪感を感じない。 心地よい水の温度と、私を抱える【君】から伝わる体温が、私の心を癒してくれる。 ああ、私は笑っている。心の底から、楽しいと感じている。 そして気づいた。私は今、籠から解き放たれたのだ。 もうどこにだって行ける。このまま、どこまでも……! 【君】がいれば、私は自由に羽ばたける。 2羽の鳥が、水の監獄を抜け、広大で心地よい自由な空を飛翔する……! その行先は、もう誰にも邪魔されない————。