XX20年 1月4日(土) 嘘と茶番に満ちた年末年始、今年も終了。 「最近はありすが料理してくれるようになって  本当に助かってるの」 母がばあばに対してそう言った時は、さすがにキレそうになったが我慢した。 ばあばは母の言葉を聞いて、ありすちゃん偉いねえ、一番偉いよ。と言ってくれたが、 何だか素直に喜べなかった。 私は、父と母が嫌いだ。 いろいろと変わっていくものもあるが、 私のこの感情は、きっとずっと変わらないと思う。 1月6日(月) 今日から三学期が始まった。 お昼に学校が終わって、部活も今日は休みだったので、 広田さんと如月くおんとファミレスに行ってきた。 新年会ってやつっすね! と如月くおんがはしゃいでいたが、 そうじゃないわ。 1月19日(日) 図書館に行って、走り方の本と、運動神経についての本を借りて来た。 あと、気になっていた小説があったから、 それを勉強室で読んでいたら夕方になっていた。 図書館の二階にある勉強室は、外の風景を見ながら本が読めるから好き。 静かだしね。 2月12日(火) ゆいか先輩からメッセージが届いた。 「今年のバレンタインはチョコ渡せない。ごめんね」 受験間近なんだからそれは当然のこと。 わざわざ謝らなくてもいいのに。 でも何だか、嬉しかった。 2月14日(金) いつも通りの学校、いつも通りの部活。 いつもと何も変わらないわ。 2月15日(土) 私から渡すのはありだったのかな、とか考えている。 いや、もう過ぎたことだし、考えても仕方がないわ。 3月3日(火) 今日から学年末テスト。 ゆいか先輩は受験終わったのかな。 九重高校って受験いつなんだろう。 3月9日(月) ゆいか先輩が久しぶりに部活に顔を出してくれた。 彼女は、今日が高校受験の結果発表だったらしく、 第一志望である九重高校に合格した。と満面の笑みで部員に報告していた。 陸上部全員がそれを喜んでいた。 私ももちろん喜んだ。 久しぶりに彼女と一緒に下校した。 3月12日(木) 卒業式だった。 去年はそうでもなかったが、今年の卒業式はいろいろと思うことがあった。 ゆいか先輩が卒業するからだ。 今日を最後に、彼女はこの学校の生徒ではなくなる。 式が終わった後、彼女のもとへ向かうと、 そこには陸上部の部員が何人もいた。 皆に囲まれていた主役は、私を見つけるなり、 優しい笑顔で近づいて来て、そっと抱きしめてくれた。 「望月泣かないで。私たちはまだ終わってないでしょ」 そう、私は泣いていた。 彼女との関係がここで終わりではないことを分かっていても、 それでも、卒業というのは寂しかった。 「ゆいか先輩、絶対、絶対また私と走ってください。  その時は先輩を越えて見せますから。  今までありがとうございました」 ゆいか先輩は私の言葉を、うん、うんと頷いて聞いてくれて、 こちらこそありがとう。と言ってくれた。 今日は一つの終わりであり、始まりの日だ。 私は、これからの一年で自分の走りに磨きをかける。 そのうえで、ゆいか先輩に勝つため、九重高校へ行く。 やってやる。 やってやるんだ。 3月13日(金) 「そう言えば、昨日の卒業式、ゆいか先輩と同じクラスにいた  如月かれんって人が、如月くおんの姉なの?」 唐突に私が聞いたら 「そうっすよ。何とも言えない、私のお姉ちゃんです」 と如月くおんは答えた。 その言い方も何とも言えない感じよ。 4月2日(木) 部活。 自己ベストを更新した。 タイムを計っていた如月くおんが 「すげえっ! すげえっす!」 と言っていた。 確かに悪いタイムじゃない。 でも、まだまだやれる。 新年度になり、あと一週間もすれば新入生の部活見学や体験入部が始まる。 どんな新入生が入って来るかも気になるが、 それより、この後輩感溢れる如月くおんがどんな先輩になるのかが興味深かったりする。 4月6日(月) 最悪だわ。 今日は始業式で、三年生のクラス分けも発表になったんだけど、 すごく頭の悪そうな男子と同じクラスになった。 「もちづき医院だ! もちづき医院と同じクラスだ!」 大声で喋る男の名前は真田。 人の家のことを大声で話すものじゃないわ。本当に下品よ。 ゆいか先輩はもうこの学校にはいないし、品の無い男子とは同じクラスになるしで、 これからの一年が不安だわ。 広田さんとまた同じクラスになれたのが唯一の救いかもね。 4月7日(火) 入学式だった。 今年は新入生が多いみたいだ。 まあ、私には関係がない。 教師の話は毎度のことながら眠かったわ。 4月10日(木) 部活開始前に、広田さんが部員全員を集めてこう言った。 「今日から部活見学として新入生が来ると思うけど、  みんな、優しくしてあげてね」 それに対し部員たちが、はい! と答える。 みんながこんな返事をするのは、 広田さんが慕われている証だろう。 彼女はいい部長なんだなと思った。 4月11日(金) 去年に比べて、部活見学に来る新入生の数が多い。 入学してくる人数が多いとこうなるのね。 緊張した面持ちの新入生を見て、如月くおんが 大丈夫大丈夫陸上部の先輩みんな優しいから緊張しないで大丈夫だって。 と声をかけていた。 彼女はいい先輩になるかもしれないわ。 4月13日(日) 陸上の大会だった。 広田さんも如月くおんもいいタイムだったわ。 私も自己ベストは出なかったけど、悪くないタイムだった。 4月27日(日) 夕食に、菜の花とベーコンのパスタを作ってみた。 味付けはバターしょうゆ。 美味しかったけど、レシピ通りだと少し濃いかも? 今度作る時は、調味料の量を減らしてみよう。 写真を撮ってゆいか先輩に送ろうかと思ったけど、やめておいた。 きっと新しい生活で忙しいだろうから。 5月1日(金) 広田さんに、GW中空いている日はないかと聞かれた。 如月くおんが私と広田さんに話したいことがあるらしい。 私は連休中、部活以外の予定はないから、 いつでも空いてると答えた。 5月5日(火) 部活が終わった後、広田さんと如月くおんとファミレスに行ってきた。 如月くおんが私たちに話したいことがある、といっていた件だ。 「私、その、ちゃんと先輩たちみたいに、  新入生に上手に接してあげられてるのかなって  不安って言うか悩んでるって言うか……」 そんなお悩み相談が来るとは思っておらず、私と広田さんは顔を見合わせた。 少しの沈黙の後、広田さんが優しく語り掛ける。 「そっか。くおんちゃんは偉いねえ。  そういう悩みを持つってことは、  後輩たちのことをちゃんと考えてあげてるって証拠だねえ」 「いえ、偉くはないと思いますけど」 「ううん、偉いよ。  ああごめん、話が横にそれちゃった。  あのね、くおんちゃんは、すっごくいい先輩になれてると思うから大丈夫だよ。  私が二年生のときより、よっぽどいい先輩だと思う。  ね、望月さん?」 「ええ、広田さんの言う通りよ。  如月くおんは私、予想以上にいい先輩になりつつあると思うわ」 「ま、マジっすか! 何かそう言われると、自信ついちゃうっす!」 神妙な面持ちだった如月くおんが、いつもの調子に戻っていく。 会話をしながら、何だか可笑しいなと思った。 一年前、まだ全然子どもだった如月くおんが、今は先輩としての悩みを抱いていて、 それに広田さんがアドバイスをする。 私も、彼女たちの話を聞きながら自分に出来る話をする。 その空間に、居心地の良さを感じている。 いろいろ変わったのね、みんなも、私も。 5月7日(木) クラスの男子の話が低レベル過ぎるし、声が大きくて不快よ。 中学三年生にもなって、どうしてそんな話が出来るのか理解に苦しむわ。 特に真田。 休み時間にいやらしい話を大声でするの、本当に迷惑よ。 5月15日(金) 中間テストが終わった。 いつもことながら簡単だった。 5月16日(土) 陸上の大会。 今回から一年生も参加することになっている。 レース後、結果に納得がいかなかったのか、泣いている一年生がいて、 それを見た如月くおんが、悔しいよね。でも大丈夫だよ。頑張れば絶対結果出るから。 と慰めていた。 関心したわ。 やっぱりいい先輩じゃない。 5月18日(月) 中間テストが返って来た。 いい感じね。 九重高校の入試の過去問とか手に入らないのかしら。 やってみたいわ。 5月24日(日) 九重高校の過去問が手に入ったのでやってみた。 まだ学校でやっていない部分が出題されていて、解けなかった。 やるのが早すぎたかもしれないわ。 5月27日(水) 昨日学校から帰って来て、寝て、起きて、今日学校へ行くまでの間、家には私しかいなかった。 もちづき医院、燃えろって思いながら登校した。 今日帰宅したら家族がいた。 どうでもいい。 6月2日(火) 九重高校の過去問で解けなかった部分を授業で習った。 予習だけだとあまり分からなかった部分が、授業を通して理解できた。 これで、あの問題はもう解けるわ。 6月17日(水) 「ケンカで怪我してもさ、もちづき医院で治療してもらえば良くね?」 休み時間、真田がそんなことを話していた。 バカだ。愚かだ。 私、同じクラスの男子が嫌い。 特に真田は大嫌いだ。 何? ケンカで怪我って。そんな野蛮なことするのは本物のバカよ。 あと、アンタみたいなバカはうちの病院に来ないで欲しいわ。 あ。 うちの病院って書いてる。 嫌だわ。 燃えた方がいいようなあの病院を、うちの病院って認識してるのかしら、私。 何だか気分が悪い。 シャーファを抱いて寝よう。 全部真田のせいね。あの下品な生物が悪いわ。 6月19日(金) よし、自己ベスト更新。 この調子で週末の大会にも望むわ。 6月21日(日) 陸上の大会だった。 去年自己ベストを更新したこの大会で、私は今年も自己ベストを更新した。 ゆいか先輩の記録には届かないけど、良いタイムだ。 先月の大会で泣いていた一年生もいい結果を出せたようで、今日は笑顔だった。 「よしゃー! 今日は一年全員頑張ったから、私がドリンクバー奢ったらぁ!」 大会後、如月くおんが一年生にそう声をかける。 後輩たちは嬉しそうに、おおっと声を上げていた。 「くおんちゃんは本当にいい先輩だねえ」 「そうね。でも、ドリンクバーだけなんてケチだわ。  後輩全員にドリンクバーとパフェぐらい奢るべきよ」 「それはくおんちゃんには、と言うか、多くの中学生には難しいことかも」 「そう?」 「うん」 私たちがそんな会話をしていると、 如月くおんがやってきて、先輩たちも一緒に行きましょうよ。と誘ってきた。 結局、陸上部のほぼ全員でファミレスに行き、賑やかな時間を過ごした。 6月29日(月) 昨日の夜中、父と母がリビングで話をしていた。 書いていて手が震える。 話をしていたのだ。 会話を。 あの二人が。 夜、寝る前に喉が渇いたから、リビングにお茶を取りに行ったら 二人が話している声が聞こえた。 真剣な声だった。 うざい、うざい、うざい、うざい! どうして私も混ぜてくれないの!? 二人の会話を耳にした最初の感想がそれだった。 苛立ちは湧き上がった瞬間に最高潮となり、 私はリビングのドアを乱暴に開けて、 冷蔵庫の中からお茶を取り出して、雑に注いで、一気に飲んだ。 飲み終えた後、冷蔵庫のドアを勢いよく閉めて、リビングのドアは開けたままで部屋に戻った。 部屋に戻って少し経つと、怒りとは別の感情が私を襲ってきた。 寂しい。 悲しい。 お父様とお母様が話をしてるのに、どうして私は一緒じゃないの? 私だけ仲間外れなの? ベッドの中でシャーファを抱きしめて、私は泣いた。 7月3日(金) あの夜以来、また父と母は会話をしなくなった。 一体何を話していたのかしら。 どうでもいいか。 7月6日(月) 今日から期末テスト。 九重高校の過去問であった問題が、 ほぼそのまま出題されていた。 楽勝。 7月8日(水) 期末テスト終了。 広田さんが、今回は頑張ったから自信あるかも。と言っていた。 努力家の彼女がそう言うのだから、きっといい結果が返って来るのだろう。 7月10日(金) 期末テストが返って来た。 広田さんは社会で96点を取っていて、 クラスで一番だ、と先生に褒められていた。 すごい。素直にすごいと思うわ。 私は90点。 7月16日(木) 「俺、童貞を捧げるんだったら広田がいい」 「だったら俺は」 休み時間のあいだ、本当にどうしようもないバカ男子どもの会話が耳につく。 これ、セクハラで訴えられないのかしら。 幸いにも、広田さんが教室にいない時の会話だったけど、 こんなの彼女が聞いたら心に深い傷を負うわ。 もしそうなったら訴訟ものよ。 7月17日(金) 今日も男子たちが卑猥な話をしていた。うざ。 そういう会話の中でもし私の名前を出すようなことがあれば、 思いっきりぶってあげるつもりだ。 7月18日(土) 久しぶりに、ゆいか先輩からメッセージが来た。 すごく嬉しかった。 私は、彼女が高校生活で忙しいだろうから 邪魔をしてはいけないと思って、連絡を取っていなかったのだ。 望月げんき? 6文字しかないメッセージに私は、 ご無沙汰してます。元気ですよ。 ゆいか先輩はお元気ですか? と、四倍以上の長さで返信をした。 会話のラリーは続き、気が付けば遅い時間になっていた。 ゆいか先輩の近況、陸上を続けていることや、九重高校の陸上部はどんな感じかなのか、 他にも、最近あった出来事とか、いろんなことが聞けた。 やっぱり、ゆいか先輩とコミュニケーションを取るのは楽しい。 今日はいい気分で眠れそうだ。 7月19日(日) 陸上の大会でまた自己ベストを更新した。 気持ちとタイムが必ずしもリンクするわけではないけど、 今日の私は自己ベストを更新する気がしていたし、 そうしないといけないとも思っていた。 ゆいか先輩が高校に入っても自己ベストを更新し続けているということを、 昨日知ったからだ。 7月22日(水) 終業式。 終わった後に広田さんと喫茶店に行った。 お洒落で落ち着いた雰囲気で、居心地が良かった。 明日から夏休み。 7月30日(木) 炎天下でうだるような暑さ。 如月くおんが自己ベスト更新。 8月6日(木) 明日から陸上部の合宿。 今年はゆいか先輩がいないのが残念だけど、 それでも、家にいないでいいのはやっぱり嬉しい。 広田さんから 「最後の合宿、楽しもうね」 ってメッセージが来た。 もちろん、そのつもりよ。 8月9日(日) 合宿から帰って来た。 今年も楽しかったわ。 私はゆいか先輩が卒業してから、誰かに負けるということを経験したことがないんだけど、 合宿中はそうなりかねない場面があった。 広田さんがどんどんレベルアップしているからだ。 それでも、私は負けなかった。 何回走っても、私は勝ち続けた。 「望月さんは速いねえ。私、頑張ってるつもりなんだけど追いつけないよ」 息を切らしながら、広田さんは独り言のように話す。 人に勝ち続ける。相手が努力しても勝ち続ける。 ゆいか先輩ってこんな気持ちだったのかなと思うと、嬉しかった。 二日目の夜、就寝時間後、私は外へ出た。 去年も一昨年もゆいか先輩が座っていた場所へ私は一人腰掛け、夜風に当たっていた。 ゆいか先輩のいないその場所は、少しだけ寂しかった。 「あ、いた」 宿舎の方から声が聞こえ、視線をそこへ移すと一人の女子がいた。広田さんだった。 「去年も一昨年も、望月さん、みんなが寝た後に外に出てたよね」 人懐っこい表情で、私の隣へ彼女は腰を落とす。 「毎年こうして、一人でここに来てたの?」 「ううん、一人じゃないわ。  ゆいか先輩と一緒だったの、去年も一昨年も」 「へえ、そうだったんだ」 少しだけ話して、私たちは沈黙した。 嫌な沈黙ではなかった。 頬を撫でる風が心地よい。 緩慢な空気に身を委ねていると、広田さんが口を開いた。 「あのね、私ね、最初、望月さんって誰とも話そうとしないし、  怖い人なのかなって思ってたの。  ごめんね。でもね、今は私のかけがえのない友だちだと思ってるんだ」 そう言い、彼女は優しい顔で私を見た。 その時私は無性に、過去に彼女を見下していたことを謝りたくなった。 でも、見下していたなんて言えるわけがない。 だから、今の気持ちを頑張って伝えた。 「私も…………てるわ」 「え? ごめん、今聞き逃しちゃった。  もう一回言って?」 「……私も……友だちだと思ってるわ」 「ふふ、そっか。良かった。嬉しいな」 それからしばらくの間、二人でいろんな話をした。 翌日の帰りのバスの中で、私も広田さんも寝ていたらしく 学校に着いた後、如月くおんに起こされた。 そう言えば、一年の時起こしてくれたのは広田さんだっけ。 私の中学校最後の合宿は、すごく良い思い出になった。 8月18日(火) 15歳になった。 夏休み前に両親が会話をしていたから、 15歳の誕生日には私も入れて家族全員で会話するっていう、 そんなサプライズがあるかもって思っていたけど、それはなかった。 一万円札があるだけだった。 期待して、裏切られて、もう期待しないって誓うのにまた期待して、また裏切られて。 何回こういうの繰り返すんだろう。 8月19日(水) 図書館に行って、勉強室で本を読んでいた。 とにかく移動中の暑さがきつい。 部活の時は走るスイッチが入っているからそんなに気にならないけど、 そうでない時にこの暑さはきついわ。 8月23日(日) ゆいか先輩とメッセージのやり取りをした。 楽しい。 早く私も九重高校に行って、また一緒に走りたい。 8月28日(金) 一年、二年、三年ともに、 クラスのメッセンジャーグループがあって 私は入るだけ入って、既読もつけないしずっとスルーしていたんだけど、 今日、部活が始まる前に、何となく履歴を眺めてみた。 地獄だった。 男子たちによる品性下劣な単語の羅列。 抜けたらそれをネタに何か言われそうだから抜けないけど、 二度と見ないと心に決めたわ。 9月1日(火) 今日から二学期。 相変わらず男子がうるさかった。 9月4日(金) また父と母がリビングで話している。 何かの書類を見ながら、真剣な感じで。 うざい。 うざい。 うざいうざいうざいうざいうざい! 何なの!? また私だけ仲間外れにしてるの!? 孤独感を感じるのには慣れているつもりだが、疎外感を感じるのは辛い。 辛いわ。 9月5日(土) 昨夜のことでイライラしている。 表にそれを出さないように頑張った。 今日は父と母は会話をしていなかった。 もちろん私とも会話をしなかった。 9月15日(火) 「真田、いけよ、男見せろ」 「え、いいの? 俺マジで聞くよ?」 「どうせ出来ねえんだろ」 「いやマジでいくし」 品性下劣、愚か者の集まりである男子たちのそんな会話が聞こえてきたので、私は教室を出た。 お昼休みにあんなバカどもの会話を聞かせられるなんて、拷問だ。 広田さんも同じようなことを考えていたらしく、部活が始まる前にそのことについて話をした。 「何かさ、真田くんたちってちょっと嫌だよね。私苦手かも」 「私はちょっとじゃなくて、ものすごく嫌よ。大嫌い」 「あはは。望月さんは正直だね」 「だってそうでしょ。だいたい……」 このまま彼らの悪口をたくさん話したかったのだが、部活の開始時刻になったので、 それはできなかった。 はあ、本当に嫌になるわ。 9月16日(水) 最低の日だった。 お昼休み、購買で買ったパンを食べ終えゆっくりしていたら 真田に声をかけられた。 「あのさ、望月ってさ、オナニーとかしてるの?」 ヘラヘラしながら最低の質問をしてくる男と、 おお! あいつ本当に聞いた! と離れた場所で盛り上がるクズたち。 だいたいの状況は推測できた。 昨日、いけよ、とか、聞くとか言っていたのはこのことだったんだろう。 無視していると、今度は 「教えてくださいよ、ありすお嬢様。  もちづき医院のお嬢様は一人えっちをしているんですか?」 と聞いてきた。 私は立ち上がり、問いに答えず彼に平手打ちをした。 乾いた音が響いて、話し声で賑やかだった教室が静まり返った。 ビンタをされてもなお、真田はヘラヘラしていて、 彼の仲間たちは、面白いことが起こったみたいな顔をしていた。 その反応が許せなかった。 私は返す手の甲で思いきり彼を叩いた。 頬に当てるつもりだったものが鼻に当たり、 彼は顔を抑えてうずくまった。 驚くぐらいの血が流れていた。 もう誰もヘラヘラしていなかった。 「望月さんどうしたの!?」 そう言って広田さんがかけよって来た。 私の目の前では真田が鼻血を流しながら泣いている。 誰が報告したのか、すぐに担任が来て、私と真田は生徒指導室へ呼ばれた。 事情を説明して欲しいという担任に、真田はこう答える。 「冗談でちょっと質問しただけなのに殴られました。マジで痛い」 騒動のきっかけを作った人間が被害者ヅラをしている。 こいつ、本物のクズだ。 私は担任にこう伝えた。 「先生、私は彼に、ここでは言えないようなことを聞かれました。  とてもひどいことです。  彼を訴えることはできないんでしょうか。  彼の言動はセクハラで、私は心を傷つけられたわ」 聞き終わると、担任は困った顔をして、まあまあ、真田も悪いし、望月も手を出したのはちょっとね。 みたいなことを言って、お互い謝って終わりにしよう。 と提案してきた。 そんなの無理に決まってる。 真田は、聞こえるか聞こえないかぐらいの声ですいませんでしたと言っていたけど、私は謝らなかった。 教室に戻ると、真田たちのグループは嫌悪と恐怖の入り混じった目で私を見ていて、 クラスメイトの女子たちは、大丈夫だった? と聞いてきた。 はあ、最低。 書いてて憂鬱な気分になって来たわ。 シャーファを抱いて眠ろう。 9月17日(木) 昨日よりも最低の日だった。 登校すると教室には真田がいなくて、 昨日のことが原因で休んだのかもとか、 うるさいやつがいなくて快適とか、そういう風に思っていた。 二時間目が終わって、休み時間に入ると 担任が気まずそうな表情で教室へ顔を出した。 望月さんちょっと来て。と言われ、私は学校の会議室へ連れていかれた。 そこには真田と、彼の母親がいた。 担任に座ることを促され、私は彼らと向き合う形で椅子に腰を掛けた。 そうするなり、向かい側に座っている女が口を開く。 「あなたさあ、もちづき医院の娘さんなんでしょ。  医者の娘が同級生に暴力振るうってありえないよね。  この子の鼻が折れてたらどうするつもりだったの?」 そう言われて、おおよその見当がついた。 恐らく昨日、真田は帰宅するなり、この頭の悪そうな親に被害者アピールをしたんだろう、 自分は悪くなくて、望月が悪いと。自分は被害者だと。 それをここにいる女は信じて、今に至ると。 子どもが子どもなら、親も親ね。 本当にしょうもないわ。呆れた。 「しかもあなた、うちの子に一方的に暴力振るっておいて、  謝らなかったらしいじゃない。  それ、ひどいよね。信じられない」 私が呆れている間も、彼女の攻撃は続く。 「あなたのとこ、大きな病院だけど、潰れないとか思ってる?  大きな病院の娘だから、謝らないでいいと思ってる?  もちづき医院の娘はこんなにひどい子ですって言いふらしてあげようか?  口コミの力を舐めない方がいいよ」 ええ、どうぞそうしてください。 あんな病院、潰してください。 そう言いたいところだが、目の前にある問題は私と真田の問題であって、 親のことを持ち出すのは違う。 私は発言した。 「私は、真田くんに昨日ひどいことを言われました。  私はそれを許せません。  だから謝りません。  あと、親は関係ないと思います」 「もういい。あなたじゃ話にならない。親を出せ」 こうして、私の思いとは全く違う方向へ話が進み、父が学校へ来ることになった。 来て欲しくなかったが、今日はたまたま休みだったのが災いした。 いやいや申し訳ございません。と、平謝りしながら会議室へ入って来る父。 「本当に、うちの娘が申し訳ございませんでした」 そうやって彼は頭を下げて、ほら、ありすも謝りなさいと言ってきた。 家では全く口をきかないくせに、こういう時だけ流暢に喋るこの男と、 最低な連中に謝ることを促されているという状況。 イライラする。 本当にイライラする。 「へーえ、お父様ってこういう場面だと私と喋ってくださるのね」 謝ることを促されている私がとった行動は、父への挑発だった。 「家ではずっと私のこと無視してるくせに。  しかもお父様って最近、お母様と話してるでしょ?  何? 私だけ家族の中でのけ者に」 話している途中で、父の拳が私の顔、鼻の下あたりを直撃した。 父親に殴られた。その事実に驚いていると、 髪をつかまれ、目の前の机に顔を叩きつけられた。 「ほら、ありす。ごめんなさいだろ、ちゃんと謝らなきゃ」 平然とした口調でそう言いながら、彼は どん、どん、と、バスケットボールのドリブルのような感じで、 何度も何度も私の顔を机に叩きつける。 何なの、この男。 娘に何てことをするの。 恐怖に染まった表情の親子と、机が視界を往復する。 隣にいる担任が止めようとしたのか、 先生、止めないでくださいよ。うちの娘が悪いんですから。 と、男は言っている。 私が謝るまで、この男はこれを繰り返す気だ。 謝るまで、何分でも、何時間でも繰り返すんだろう。 直感だが分かる。 この男は、そういう男だ。 そう考えている間も、私は机に叩きつけられ続けている。 痛い。 口の中は血の味でいっぱいだ。 これがずっと繰り返されるのか。 痛い。 痛い。 怖い。 「ごめん……なさい……!  ごめんなさい……!  ごめんなさい!!」 私の口からその言葉が出たとき、男の動きは止まった。 顔中が痛くて熱くて、ヒリヒリして、流れる血と涙が不快だった。 「いやいや、不出来な娘を持つと苦労します。  しかし、娘は娘で謝罪の意志を示しましたし、  ここは一つ、これで勘弁していただけないでしょうか?」 私の髪を掴んだまま、彼は目の前にいる親子に問いかける。 さっきまで威勢の良かった母親は完全に怯えた目をして、 はい、もう大丈夫です。と答えた。 息子は涙目になったまま、何も言わなかった。 「ああそうそう、お詫びとしてこれを受け取ってください。  奥様も、あと先生もね。  この度は私の娘が、誠に申し訳ございませんでした」 そう言って、父は厚みのある封筒を真田の母と担任に渡し帰っていき、 私は教室へ戻らず保健室に向かった。 保健室の先生は、私の顔を見て驚いていた。 「折れてないとは思うけど、何日か様子見て、痛みが続いたら病院に行ってね」 一通りの処置を終えた後、先生は私にそう告げた。 医者の娘が家族に暴力を振るわれて、病院に行くことを勧められるとか。 笑えるわ。 学校はそのまま早退した。 広田さんから心配のメッセージが届いた。 返す気になれなかった。 9月18日(金) 痛みは大分ひいたけど、顔が腫れていて、 この顔を見られるのは嫌だから学校を休んだ。 明日から火曜日までは連休だから、連休明けまでには治って欲しいわ。 母は私の顔を見ても何も言わなかった。 広田さんにメッセージの返信をした。 9月22日(火) 顔の晴れはほぼ収まった。 良かったわ、連休中に納まって。 明日からは学校に行けそう。 9月23日(水) 先週の木曜日以来の学校。 ずいぶん久しぶりに感じた。 広田さんが、心配してた、来てくれて良かった。 と言ってくれた。 男子は静かだった。 放課後、真田に謝られた。 「俺が望月に変なこと言ったせいで、こんなことになって……。  母ちゃんはもう関わるなって言ってたけど、ちゃんと謝らせて欲しい」 彼はそんなことを言っていたが、謝るぐらいなら最初からやるなよ、と思った。 「ああそう、ごめん許せないわ」 と答え、すぐに帰った。 9月27日(日) 夜9時を過ぎた頃、部屋のドアをノックされた。 こんなことされるのは何年ぶりだろう。 ノックしてきたのは父だった。 「話があるからリビングに来なさい」 言われるままリビングに向かうと、 父と母が並んで座っていて、 私はその向かい側に座るよう指示された。 疎外感を感じた。 腰掛けると、父が口を開く。 「ありす、僕と妻は離婚することになった」 は? 「もちろん、今すぐ離婚するということじゃない。  キミが大学を卒業するまでは、僕たちは家族という形を取る。  今まで通り、お金も出してあげよう。  ただ、ありすが大学を卒業するのと同時に、僕たちの関係は終わるということだ」 ちょっと待って。 この前私に暴力を振るっておいて、それを一言も謝らないで、 今度は離婚? ふざけるな。 怒りを口にしたかったが、出来なかった。 この前の一件で、私は父に恐怖心を抱いてしまっていたのだ。 母は父の話が始まってからも、今まで同様一言も口をきいていない。 父は続ける。 「ただし、この前のようなことがあった場合。  具体的に言えば、キミがもちづき医院のイメージを損なう可能性のあることを  した場合には、すぐにここにいる女性とは離婚し、キミとは親子の縁を切らせてもらう」 何かの競技のルール説明のように、淡々と彼は話した。 「そんなこと急に言われても、私……」 望んでいなかったと言えば嘘になる。 でも、現実にそれが見えると、やはり戸惑ってしまう。 その感情を口にすることは出来た。 「お前の気持ちはどうでもいい」 母がそう言った。 家で私に向かって話すのは、本当に本当に久しぶりだ。 それがこんな内容だなんて。 お前って言われて、どうでもいいって言われて。 ひどい。 本当にひどい親だと思う。 私は、父も母も嫌いだ。 大嫌いだ。 家で全く話さない二人を何年も見てきて、離婚すればいいのにと思っていた。 でも、それが現実になると決まったとき、私は……。 「じゃあ、そういうことで」 無機質な言葉を残して父と母がリビングからいなくなって、一人残された私は泣いた。 嗚咽を漏らし泣き続けていた。 9月28日(月) 部活。 望月先輩、元気ないっすね。どうしたっすか? と、如月くおんが聞いてきた。 まあいろいろとね。と答えるのが精いっぱいだった。 10月3日(土) 走ることが好き。 走っている間は、いろんな辛いことを忘れられるから。 そうだった、私が陸上をやっているのは、それが理由だった。 10月4日(日) ここ最近いろんなことがあって、 走っていない時は気持ちが沈んでしまう。 かと言って、今日は休養日なので走るわけにもいかない。 辛い。 10月11日(日) 部活休み。 気持ちが落ち込むのがきつくて、ゆいか先輩にメッセージを送った。 ゆいか先輩、会いたいです。 ストレートな文面に、いいよ、とストレートな返事が来て、 私たちは会うことになった。 場所は前に広田さんと行った喫茶店だ。 「嬉しいな。望月受験生だから、今年会えないかと思ってた」 久しぶりに会う彼女は、少しだけ大人っぽくなっていた。 「私こそ、ゆいか先輩が高校生になっていろいろ忙しくなって、  会ってもらえないんじゃないかと思ってましたよ」 「はは。同じような心配してたってわけだね」 運ばれてきたコーヒーに口をつけた後、 ゆいか先輩は笑顔で私に尋ねて来た。 「でもさ、急に会いたいだなんて、何かあったの?」 優しい笑顔だ。 どんな話をしても許容してくれて、共感してくれそうな、そんな笑顔。 両親が離婚することになりました。 なんて、ここで言えたらどれだけ楽だっただろう。 私は、言えなかった。 「特に、何かあったってわけではないんですけど……」 自分に嘘をついて言葉を吐いていくうち、目に涙が貯まって来る。 ゆいか先輩は少し沈黙した後、 「そう、分かった」 と言って身を乗り出して、頭を撫でてくれた。 「そういう時もあるよね。  望月、今日私を選んでくれてありがとうね。  大好きだよ」 彼女に頭を撫でられるのは、これで二回目だ。 暖かい手、優しい手の動き、優しい言葉。 この優しさの海に少し浸かるだけで、私の心は救われていく。 ゆいか先輩はすごい人だ。 私が何も言わないでも、いろんなことを分かってくれているような気がする。 大好きって言ってもらえたし、今日は久しぶりにいい一日だった。 私には、ゆいか先輩がいるんだ。 10月17日(土) 体育祭。 先週までは気乗りしなかったけど、 日曜日にゆいか先輩に会って気合が入った。 リレーでは私がアンカーで、その前が広田さんだった。 それまで劣勢だったけど、私と広田さんで逆転したわ。 逆転する、追い抜くというのは気分がいい。 結果はもちろん一位よ。 10月19日(月) 自己ベスト更新。 10月20日(火) 部活が終わった後、陸上部の顧問に職員室に呼ばれた。 広田さんも一緒だ。 呼び出される理由が見当たらないと思っていたら、 次の部長を誰にするのかの話し合いだった。 本来こういうものは顧問と部長で行うらしいが、 広田さんが、私の意見も聞きたいと顧問に伝えたらしく、 三人での話し合いとなった。 話し合いはすぐに終わった。 三人が三人とも、同じ人間を部長候補として考えていたからだ。 10月25日(日) 私にとって、中学最後の陸上の大会だった。 結果はまずまず。特別良いわけでもなく、特別悪いわけでもなかったわ。 そう言えば、去年はゆいか先輩を越える最後のチャンスだって、すごい意気込んでたっけ。 あれからもう一年が経つのね。 広田さんは最後の最後で自己ベストを更新していた。 大会後の追い出し会で、私たち三年生はたくさんの後輩に囲まれ、 今までお疲れ様でした。と言われた。 去年までは言う立場だったのに、今年は言われる立場だ。 「結局、一回も望月さんに勝てなかったな」 追い出し会が始まってしばらくして、私の隣に座っている広田さんが言った。 「ねえ、望月さんって、高校に入っても陸上続けるの?」 「ええ。続けるつもりよ。越えたい人がいるから」 「それって遠藤先輩?」 「そう」 「そっか。じゃあ、私も陸上続ける」 「え」 「私も、越えたい人が出来たからね」 ふふ、と目を細める彼女。 笑顔の中に決意のようなものが感じられる、 今までに見たことのない表情だった。 広田さんが陸上を続けるというのは、何だか嬉しい。 10月26日(月) 陸上部新部長の発表日。 私たち三年生は、その立ち合いと挨拶をして、部活を離れることになる。 広田梓に続く部長は、如月くおんになった。 顧問が発表した時、彼女は、 え! マジっすか!? と驚いていたものの、 満更ではなさそうで、挨拶を促されると、 「この如月くおんには夢がある!  正しいと信じる夢が!」 と、熱い感じで語っていた。 遠藤先輩とも、私の代とも違う感じになりそうだね。と、 今日から元部長になった広田さんは言っていた。 11月2日(火) ゆいか先輩とメッセージでやり取りをした。 今、彼女は九重高校の陸上部で一番速いらしい。 一年生なのに、さすがだ。 11月4日(水) 文化祭の練習。 私たちのクラスは今年の文化祭で、曲に合わせてダンスをすることになった。 女子の一部が。 具体的には、私と広田さんと、あと3人が。 何なの!? これ! 私たちもう15歳なのよ。 なのにこんなアイドルごっこみたいなことして、 バカみたいだわ。 でも広田さんが楽しそうだし、踊りが変で恥をさらすのも嫌だから ちゃんとやってあげることにした。 こういう時、男子が変な騒ぎ方しないか不安だったけど、 9月のあの事件以来、彼らは静かだ。 11月5日(木) 木曜日だけど、陸上部を引退したので部活がない。 不思議な感覚だわ。 今日も文化祭に向けて練習した。 11月6日(金) 文化祭の練習。 服飾部のクラスメイトが作ってくれた衣装を着てみた。 悪くないんじゃないかしら。 練習が終わった後、真田から、衣装が似合っていると言われた。 キモ。話しかけんなし。 11月12日(木) 夜、如月くおんからメッセージが届いた。 「明日の文化祭、望月先輩のクラスはステージでダンスなんですね!  望月先輩は出るんですか?」 「出るわ。広田さんも出るわよ」 「マジすか!了解っす!」 何が了解なんだか。 如月くおんは部長になっても後輩感が抜けなくて、それがちょっと面白いわ。 11月13日(金) 文化祭だった。 去年と一昨年、私のクラスは展示をやっていて、ステージで発表をするのは初めてだった。 何てことはない、音楽に合わせて踊って、アイドルの真似事をするだけ。 練習もいい感じにやれてたし、普通にやって普通に帰ろうと思っていた。 ステージに立ち、曲が始まり、私たちは踊り始める。 少しして、ステージの上から客席を眺めると、驚愕した。 如月くおんが「ありす推し」「あずさ推し」と書かれたうちわを持って、それを振っているのだ。 近くにいた陸上部の子も同じものを持っている。 バカか! バカでしょ! 曲に合わせて「オイ! オイ!」とか叫んでるし。 あの子たちって本当にバカだわ。 でも、悪い気はしなかった。 普通にこなして普通に終わろうと思っていたのに、 全力で、めいっぱいのパフォーマンスをした。 すごい汗をかいたけど、いい時間だったわ。 曲が終わった後、陸上部の後輩たちが 「せーの、ありす~~~~!!」 「せーの、あずさ~~~~!!」 って歓声を飛ばしてくれて、他の子には申し訳なかったけど、 初めて文化祭が楽しいと思えた。 ステージを降りたら、真田が、 「望月、すげえ輝いてた。すごかった」 と声をかけてきた。ああそうふーん、と返した。 真田の感想とか本当にどうでもいいわ。 ステージ横の簡易的な楽屋で、 衣装を着たまま広田さんと写真を撮って、ゆいか先輩に送った。 「わ!似合ってるね。アイドルじゃん!」 ゆいか先輩から届いた返信を眺めながら、 彼女にも私のステージを見て欲しかったなと思った。 11月16日(月) 部活がないと暇ね。 陸上部引退後の私は、学校が終わってからは、 図書館に寄って勉強してから帰ることが多くなっている。 放課後そのまま帰宅するのは嫌だからだ。 11月25日(水) 「望月さん、三者面談は、お父様とお母様どちらがいらしゃるのかな?」 担任にそんなことを聞かれた。 ああそっか、多分、父が怖いんだ。 12月2日(水) 父と私と担任で行われる三者面談は、 担任の怯え方が顕著だった。 こういう時の父は饒舌だ。 「いやね、先生。  ありすみたいに出来の悪い娘でも、  やはり私にとっては可愛い娘ですから、  先生にも頑張りを評価していただきたいんですよ」 「ええ、それはもちろん。  ありすさんであれば、九重高校は合格出来るかと」 「先生にそう言っていただけて大変嬉しく思います。  内申は大丈夫ですよね。  まあ必要であればいくらでも用意しますから。  これは私の善意の話でね。  善意を用意するという意味ですけど。  内申やその他で何かまずいようなことがあったら  いくらでも、先生の欲しいだけ用意しますから遠慮なく仰ってください」 こいつ、まずいことがあったら金を出すからもみ消せって言ってるのね。 ホントどうしようもない男だわ。 9月の会議室での出来事は当事者以外誰も知らないし、 その前のこともなかったことになるんだろう。 それ自体は喜ばしいことなのかもしれないけど、気分が悪い。 12月3日(木) 昨日あれだけ饒舌に話していた父は、今日は一言も喋らなかった。 12月11日(金) 学校へ行って勉強して、 帰りに図書館に寄って勉強して、 図書館から家に帰る途中にスーパーで食材を買う。 ご飯を作って食べて、お風呂に入って シャーファの頭を撫でてあげて、また勉強して寝る。 最近はずっとそんな生活をしている。 たまには走りたいわ。 ゆいか先輩は今日も走ってるのかしら。 来週は期末テスト。 12月16日(水) 期末テスト終了。 簡単だった。 家に帰った後、時間があったから 九重高校の過去問を解いてみた。 前にやった時と違って、全て解くことが出来た。 12月24日(木) 終業式だった。 二学期最後の日でもあり、クリスマスイブでもある。 お昼過ぎに学校から帰ってきて、勉強して、休憩中に去年のことを思い出していた。 去年のイブ、楽しかったな。 ゆいか先輩と出かけて、たくさんお喋りして。 追憶し、暖かい気持ちになっていたら、メッセージが届いた。 「望月、今日ひま?」 ゆいか先輩だった。 私は受験生であるにも関わらず、すごく暇です。と返し、 去年同様、彼女と二人で出かけることになった。 「受験前で忙しいのにごめんね」 「私はいつでも大丈夫ですよ、ゆいか先輩だったら」 「嬉しいこと言ってくれるじゃん。ありがと」 今日はクリスマスイブ。 恋人たちの日。 私にとっては、ゆいか先輩と過ごす日だ。 「そうだ、プレゼントの交換しない?」 彼女の提案によって、私たちはお互いにプレゼントを買うことになった。 何件かお店を回って、私は白のマフラーを、ゆいか先輩は赤のマフラーを買い、 イルミネーションでキラキラと輝く街の中で、プレゼントの交換をした。 渡されたばかりの白いマフラーを首に巻きながら、 「幸せ。望月と過ごすクリスマスってすごい幸せ」 と、ゆいか先輩は言った。 その頬は朱に染まっているように見えた。 「そうですね。私も幸せです」 同じように赤いマフラーを巻きながら、私は言った。 うん、幸せだ。 今日は幸せな一日だった。 ハッピークリスマスイブ。 12月28日(月) 両親の離婚が決まったからか、今年はばあばのところには行かないらしい。 今年は、というより、今年からは、なんだろう。 私は両親は嫌いでも、ばあばのことは好きなので悲しい。 ばあば、もう会えないのかな。 また会いたいな。 12月31日(水) ばあばがいない大晦日。 両親とも家にはいない。 二人とも、いつものように不倫相手と過ごしているんだろう。 一人で家にいると何だか苦しくなって、居ても立ってもいられなくなり、 クリスマスにゆいか先輩からもらったマフラーを巻いて、私は外に出た。 当てもなく歩いた。 何も楽しいことなんてなかったが、 誰もいない家に一人でいるよりはマシだった。 歩き疲れて帰宅して、ご飯を作って食べて勉強した。 勉強している間に年を越していた。