XX19年 1月3日(木) 嘘と茶番に満ちた年末年始が終わった。 ばあばの家に行く時、父の運転する車では家族全員無言で、 到着した瞬間に、ありす、ばあばの家久しぶりだね、とか、 あなた、長時間運転お疲れ様とか両親とも喋りだして、吐き気がした。 数日にわたる幸せな家族ごっこには嫌気がさしたが、 ばあばの優しさには本当の幸せを感じた。 ばあばはお雑煮を作ってくれて、それがすごく美味しかったし、 初売りも一緒に行ってくれた。 帰りの車の中で、また会話のない家族に戻った。 「あー、ばあばが私のお母様だったら良かったのに」 家に着いたとき、つい、そんな言葉が口に出てしまった。 前を歩いていた母が振り返り、私に平手打ちをした。 ぱんって乾いた音がして、頬がジンジンした。 痛い。 部屋に戻ってシャーファに新年の挨拶をして、ハグしてあげた。 何故か分からないけど、涙が出て来た。 1月5日(土) 今日から部活。 部員同士で新年の挨拶をして、久しぶりに思いきり走った。 うん、走るのは楽しいわ。 その瞬間は本当に嫌なことを忘れられる。 それに、目の前にはゆいか先輩がいる。 ゆいか先輩は今日も速くて、やっぱり勝てなかった。 でも、それでこそ彼女なんだなあとも思った。 1月7日(月) 今日から三学期。 始業式の教師たちの話は何故あんなに長いのだろう。 1月22日(日) 冬は陸上の大会がないから、日曜日が退屈だ。 今日は両親とも家にいた。 年末年始にばあばの家に行ったときは普通に会話してたくせに、 今日は一言も喋らなかった。 いつも通り、ご飯は全員別のものを食べていた。 2月13日(水) クラスメイトたちがいつもより浮足立っている。 明日はバレンタインだからだろう。 ふん、しょうもないわ。 あなたたちはみんな、製菓会社の手の上で踊らされてるのよ。 友チョコとかいうチャラい文化もあるみたい。 まあ、私には無縁だろう。 2月14日(木) 「望月、これ、友チョコ」 部活が終わってゆいか先輩と二人で帰っていたら、 道中で彼女がチョコをくれた。 友チョコとかチャラいと思っていたけど、 ゆいか先輩からそれをもらえたことにより、私の考え方は大きく変化した。 友チョコ、結構いいじゃない。 悪くない文化よ。 ただ、私自身が彼女にあげるチョコレートを持っていなかった。 それが申し訳なくて謝罪すると、 「じゃあさ、ホワイトデーにお返しちょうだいよ。  私、楽しみにしてるから」 と、笑顔で言われた。 家に帰って、シャーファに自慢しながらチョコレートを食べた。 これ、明らかに市販のものじゃないわ。手作りなのかしら? 嬉しい。ゆいか先輩が作ってくれたんだ。 ホワイトデー、何をお返ししようかな。 2月17日(日) 図書館でお菓子作りの本を借りて来た。 二週間後に返却しなきゃいけないから、気になったレシピはメモしておこう。 2月21日(水) 今日は両親とも家にいなかったから、昨日借りて来たお菓子作りの本で、 チョコレートとクッキーを作ってみた。 どちらも美味しかったけど、ホワイトデーはクッキーの方がいいかしら。 いつもは家に家族がいない時、寂しい、悲しい気分になるが、 今日ばかりは嬉しかった。 誰もいないキッチンが、私の工房になったような気がした。 2月24日(日) 今日も私は、家に家族がいないことを確認して、お菓子作りに励んだ。 ゆいか先輩に食べてもらえるのを想像して何かを作るのは楽しい。 今日はバナナケーキを作ってみた。 さすがにこれはホワイトデーには重いかな。 でもいつか食べて欲しいな。 3月3日(日) 図書館でお菓子作りの本を返して、そのまま勉強室で読書をしていた。 私は勉強室の静かな空気が好きだ。 3月5日(火) 今日から学年末テスト。 テスト期間中は部活がないのが嫌だわ。 3月8日(金) 学年末テスト終了。 今回も簡単だった。 3月11日(月) 秋に引退した陸上部の先輩が、久しぶりに部活に来た。 「うちら金曜日に卒業だから、何か顔出したくなっちゃってさ」 そう言って先輩は、私たちの走る姿を穏やかな表情で見ていた。 そうか、今週末は卒業式だ。 3月13日(水) 水曜日なので部活は休み。 下校中にスーパーに寄って、明日、ゆいか先輩に渡すものの材料を買って帰宅した。 明日はホワイトデー。 ゆいか先輩にはチョコのお返しとして、手作りのクッキーを渡すことにした。 納得のいくものを作りたかったので、何回か作り直した。 最終的に出来上がったものは、我ながら素晴らしい出来だ。 ゆいか先輩、喜んでくれたらいいな。 3月14日(木) 「ゆいか先輩、これ、バレンタインのお返しです」 バレンタインデーにチョコをもらったのと同じ場所で、 私はゆいか先輩にクッキーを渡した。 「お、待ってたよ。いつ渡してくれるのかなあって」 ふふ、と笑うゆいか先輩。彼女にはどんな笑顔も、どんな笑い方も似合う。 「あの、一応、手作りです」 「え! そうなんだ。嬉しいね。これには望月の愛情がこもってるってわけだ」 「いやその、バレンタインのやつ、手作りっぽかったので、私もそうした方がいいのかなって」 「気付いてくれたんだ。そ、バレンタインのチョコは私の手作り」 「そりゃ気付きますよ」 会話をしながら歩いていると、急に、ゆいか先輩が悪戯っぽい笑みを浮かべる。 「ねえ望月、これ、ここで少し食べてもいい?」 「え、ここで? 別にいいですけど、でも少し恥ずかしいかもしれません」 「ふふ、恥ずかしがる望月を見ながら、望月の作ったお菓子を食べる。  それって素敵な時間だと思わない?」 「ゆいか先輩ってホントいい性格してますよね」 「ありがと、褒めてくれて」 「今のはそういう意味じゃないです」 ゆいか先輩は道の端っこで、丁寧にラッピングを開けてくれた。 中身を見て、わあ、と嬉しそうに目を細める彼女は、 初めて大切なものをもらった幼子のような顔をしていた。 この人は、本当にいろんな表情を見せてくれる。 「え、やば! これ、めっちゃ美味しいじゃん」 クッキーを一つ頬張り、彼女はそう言った。 嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。でも、それを表に出すのが何だか恥ずかしくて、 お口に合って良かったです、と務めて冷静に言った。 ゆいか先輩はその後、ずっと嬉しそうだった。 きっと、私はもっと嬉しかった。 「望月、ありがとうね。私、すっごく嬉しかったよ」 別れ際、ゆいか先輩は感謝の言葉を口にする。 「こちらこそ、喜んでもらえて嬉しかったです。ありがとうございます」 この時は素直に感情が出せた。 帰宅した後、私は上機嫌で、今日の話のシャーファにたくさん聞かせてあげた。 ああ、今日はとてもいい日だわ。 3月15日(金) 卒業式だった。 式が終わった後、陸上部の先輩のところへ行った。 ゆいか先輩もいた。 卒業する先輩たちと談笑する彼女を見て、私は恐ろしくなった。 来年は。 来年はゆいか先輩が卒業する側なのだ。 考えたくない。 私は、三年生の先輩たちに軽く挨拶を済ませた後、さっさと帰宅した。 ベッドでシャーファを抱いて寝転んでいると、涙が出て来た。 嫌だ。 一年後、ゆいか先輩が卒業するの、嫌だ。 3月22日(金) 終了式。 私の中学一年生は、とてもいい一年だった。 ゆいか先輩という、かけがえのない人と出会うことが出来たからだ。 彼女が来年卒業することを考えると悲しくなるけど、 でも、そう思える人に出会えたのは素晴らしいことだわ。 夜ご飯はコンビニのお弁当だった。 3月23日(土) 部活。 同級生が、私たちもうすぐ二年生だね、新入生が入ってきたら優しくしようね、 みたいなことを話していた。 新入生に優しくする前にもっと速く走れるよう努力しなさいよ、ノロマが。と思った。 3月28日(水) 図書館に行って、料理の本を何冊か借りて来た。 私の食事は大抵、朝は家にあるパンかコンビニのおにぎり、 お昼は購買のパン、夜はコンビニのお弁当とスイーツなのだが、 それを買うお金で何か料理が作れないかと考えたのだ。 本を読んでいると、いろんな料理のレシピが書いてあってワクワクした。 どうしてもっと早くこの発想に至らなかったんだろう。 今日はハンバーグを作ってみたが、とても美味しかった。 うん、今後は自分で夕食を作ろう。 朝と昼は今のままでいいわ、作る時間ないから。 4月2日(火) お昼過ぎから部活。 夜ご飯はポトフを作ったわ。 いい出来。 少し作り過ぎちゃった。 4月4日(木) 今日から私は二年生になり、新しいクラスには 広田梓(ひろたあずさ)という、陸上部の子がいた。 この前、後輩が出来たら優しくしようね、と話していた子だ。 ノロマだし会話のレベルは低いけど、 知っている子が同じクラスにいるというのは、 少しだけ心強かった。 「望月さん、同じクラスなんだね。よろしくね」 広田さんはそう言って握手を求めて来た。 アンタみたいなノロマと握手なんかしたくないって思ったけど、 私は慈悲深いからしてあげたわ。 明日は入学式。 4月5日(金) 入学式だった。 広田さんが新入生を見て、何人ぐらい陸上部に来るかなと言っていた。 さあね、分かんないわ、と適当に返事をした。 私は後輩に興味はない。 興味があるのはゆいか先輩を抜くことだけだ。 4月8日(月) 部活で、一年生が何人か見学に来た。 ゆいか先輩は部長らしく、優しく新入生に声をかける。 彼女の一年生に対する態度は慈愛に満ち溢れていたが、走りは無慈悲だった。 並走した私は今日も勝てなかった。 4月9日(火) 「如月くおんって言います! よろしくお願いしますっす!」 また、一年生の女子が部活見学に来た。 そこまでは昨日と一緒だ。 ただ、ゆいか先輩の反応が違った。 「あれ、如月くおんちゃんって、もしかしてかれんちゃんの妹?」 「あ、そうっす! お姉ちゃんと知り合いっすか!?」 「私、去年も今年も同じクラスなんだよ。  かれんちゃん、三年生になって学校来てくれるようになって嬉しいよ」 「そうなんす! お姉ちゃん、学校行くって決めたみたいで」 一年の女子とゆいか先輩が、私の知らない共通の話題で盛り上がっているのを見て、 何だか嫌な気持ちになった。 認めたくない。 認めたくないけど少しだけ、ほんの少しだけ私は嫉妬した。 4月10日(水) 今日は部活休み。 放課後、ゆいか先輩の家に遊びに行った。 ゆいか先輩は今年受験だから、今後こういう時間も減ってくるのかもしれない。 嫌だわ。 4月14日(日) 久しぶりの陸上の大会。 ゆいか先輩は自己ベストを更新していた。 すごいすごいと周りの部員たちが黄色い声を上げる。 喜ばしい。 とても喜ばしいことだ。 けれど、その結果を受けて、私の心には祝福以外の感情も湧き上がっていた。 私の自己ベストは更新されていないのに、ゆいか先輩は更新した。 差が広がったということだ。 悔しい。 彼女の出した結果を喜びたい。でも、悔しい。 4月16日(火) 「バスケ部とどっちにするか悩んだんですけど、私、陸上部に入るっす!」 先週見学に来た一年生の女子が、ゆいか先輩にそう告げていた。 如月くおんと名乗っていた子だ。声が大きい。 その後彼女は、私も走ってみたいっす、 と言って、私たちと一緒に走った。 なかなか速い。 「くおんちゃん速いね。いい感じじゃん」 「そうっすか? ありがとうございます!」 楽しそうに話すゆいか先輩と如月くおんを見て、私の中に疑問が浮かんだ。 ゆいか先輩は私のこと一回もありすとかありすちゃんとか呼んでくれてないのに、 どうして如月くおんは名前呼びで、しかもちゃん付けなわけ? ま、別に私は呼ばれ方なんてどうでもいいけど。 考えながら二人を見ていると、ゆいか先輩と目があった。 瞬間、彼女は優しく目を細めた。 4月17日(水) 部活は休み。 ゆいか先輩と二人で下校した。 「ねえ望月、昨日、ちょっと妬いてた?」 横からのぞき込むようにして、ゆいか先輩は聞いてきた。 また笑顔。今日はにんまりした、いたずらっ子のような笑顔だった。 「妬いてた? 何のことですか?」 「くおんちゃんと私のこと」 「はあ?」 「いやさ、昨日走り終わってからくおんちゃんと話してたら、  望月の熱い視線を感じたから」 「そんな、ただ関心してただけですよ。  ゆいか先輩、後輩と仲良くなるの上手いなあって」 「本当にそう思ってた?」 「思ってました」 「じゃあ信じる」 私は嘘をついた。 本当はゆいか先輩の言う通りだった。 5月13日(月) 今日から中間テスト。 二年生になっても楽勝。 「望月さん、数学の問題、難しかったねえ」 と広田さんが話しかけてきた。 全然そんなことなかったわ。 5月19日(日) 陸上の大会だった。 出番を終え座って休憩していると、同じく出番を終えたゆいか先輩が隣に座った。 「ねえ望月」 「はい」 「レベル低いやつばっかだと思わない?」 「ゆいか先輩のその感じ、ちょっと久しぶりですね」 「質問に答えて」 「思いますよ」 「だよね」 三角座りをしていたゆいか先輩は、背中を丸めた。 顎が膝に乗りそうだった。 「でもさ、この大会で私たちより速い人もいるわけじゃん。  それなのに自分よりも遅い人たちばかり見て、  レベル低いやつばっかなんて考えてるのって、  何かさ、どうなんだろうね」 彼女の発言は、私に対する問い掛けであるように感じられたが、 きっとそうではなかった。 この時の彼女は自分自身に問い掛けて、自己否定をしていた。 「私って、本当に嫌なやつだよ」 彼女の眼に水の膜が張っていくのが分かった。 去年の合宿の記憶がよみがえってくる。 あの時も彼女は自分自身を否定し、涙を流していた。 遠藤結花という女性は、快活で強いように見えて、その実とても不安定だ。 「ゆいか先輩」 私は隣に座る先輩の名前を呼んで、背中をさすった。 人の背中をさするのは初めてだった。 「大丈夫ですよ。私も同じこと考えていますし、  そもそも、そこで自分のことを嫌なやつって思える時点で、  私よりはいい人ですよ」 「……望月って優しいよね」 「そんなことないです」 背中をさすりながらそんな会話をしていると、 走り終えた如月くおんがやって来た。 彼女も今日の大会に参加していたのだ。 私は、ゆいか先輩の背中から手を離した。 「いやー、みんな速いっすね~! 負けたっす!」 如月くおんの言葉を受けて、 ゆいか先輩はさっきまでとは全然違う、優しい先輩としての表情を見せた。 「そっか。でもくおんちゃんはまだ一年生だし大丈夫だよ。これからもっと速くなれる」 この表情は作り物だ。 それを知っているのは私だけ。 何だか、不思議な優越感が生まれた。 5月23日(水) 料理をするようになってから、 コンビニに行く回数が減って、スーパーに行く回数が増えた。 今日は豚キムチを作った。 薄力粉を少しまぶすと、タレがよく絡んで美味しい。 5月25日(土) 私だけが夕食を作って、両親は出前を取ることがある。 父と母、別々の出前だ。 今日はそんな日だった。 ご飯作ってあげようか、と言いそうになったが、 もちろんやめておいた。 一言も喋らない家族に作る食事なんてない。 正直に書くと、それを無視された時のことを考えると怖い。 6月9日(日) 図書館に行く途中、道路を父の車が走っていた。 父と、知らない女が乗っていた。 借りた本を返した後、料理の本と、生き方についての本を借りた。 家に帰る途中にもちづき医院を見て、この建物が燃えればいいのにと思った。 もう夜10時を過ぎているのに、父も母も帰って来ない。 あの二人は、何故結婚したんだろう。 あの二人から私が生まれたということ、 私の体にはあの二人の血が流れているということが苦しい。 6月23日(日) 陸上の大会だった。 大会の中で、私は自己ベストを更新した。 かなり大幅な更新だ。 ゆいか先輩も、広田さんも、如月くおんも喜んでくれた。 「すごいすごい! 望月先輩、大会で自己べとか、かっこよすぎっすよ!」 はしゃぐ如月くおんを見て、この子ちょっと可愛いわ。と思った。 「望月、やるじゃん」 そう微笑むゆいか先輩は、私の自己ベストより少しだけ速いタイムを保持している。 あと少し。 あと少しだ。 6月24日(月) 「くおんちゃんは昨日もいっぱい走ったのに頑張るねえ」 「いやいや、先輩の方が頑張ってるじゃないっすか」 広田さんと如月くおんが部活の休憩中にそんな話をしていた。 確かに、結果は伴っていないけど、今の二年では広田さんが、 一年では如月くおんがよく頑張っているわ。 6月25日(火) あと少しで越えられそうなゆいか先輩を越えられない。 やはり彼女は速い。 7月10日(水) 期末テスト最終日。 今回も簡単だった。 これ、難しくなる日は来るのかしら? 7月11日(木) 「中学校の試験って、何か小学校の時と重みが違うっすよねえ」 倉庫から持ってきたハードルをグラウンドに置きながら、如月くおんが言った。 そうだよねえ、きついよねえ。と、広田さんが応えている。 二人の会話の意味はイマイチ分からないが、仲が良さそうだということはよく分かった。 7月13日(土) 今日は家族全員が家にいた。 私は朝からカレーを作った。 完成したのは、野菜の甘味とお肉の旨味がよく出た、とても美味しいカレーだ。 これなら、と思い鍋の蓋に 「食べたかったらどうぞ。亜里須より」 と書いた紙をセロハンテープで張り付けた。 この行動には勇気が必要だったが、頑張った、 ずっと幼い頃、家族の仲が良かった頃、母の作ったカレーを食べて、 私も父も美味しいと喜んでいた。 みんな笑顔だった。 だから、父と母も私の作ったカレーも食べて、美味しいと言ってくれるかもしれないと思ったのだ。 夜になって鍋の蓋を開けると、中身は全く減っていなかった。 やっぱりそうか。 期待した私がバカだった。 鍋の中身は、夜ご飯に食べてもまだ余っていたので、残りは明日食べることにした。 7月14日(日) 昨日のカレーの残りを食べた。 ものすごく美味しかった。 一晩寝かせるとこんなにも違うのね。 昨日、父も母も食べないのにかなり腹が立ったけど、 こういう発見があったからいいわ。 7月19日(金) 終業式だった。 相変わらず教師たちの話は長い。 短く要点をまとめればいいのに、それが出来ないのね。 8月8日(木) 明日から陸上部の合宿。 今年も楽しみだ。 合宿の間は家にいないでいいし、 ゆいか先輩と二泊三日同じ空間にいられる。 ああ、ワクワクする。 練習も、それ以外も楽しみ。 トランプでも持っていこうかしら。 でもそういうのは如月くおんが持ってきそうだからいいか。 今日はシャーファをたくさん撫でて、一緒に寝てあげないといけないわ。 日曜日まで寂しい思いをさせるんだから。 8月11日(日) 今年の合宿も楽しかった。 去年は私、部内でも孤立していたけど、 今年はゆいか先輩も、広田さんも、如月くおんもいる。 たくさん走ったしたくさん遊んだ。 お風呂の時、ゆいか先輩は、 合宿所のシャンプー好きじゃないから と言って、持参したシャンプーを使っていた。 私も使わせてもらった。 柑橘系の、いい香りのするシャンプーだった。 先輩それ私も使いたいっす! と如月くおんが言ってきて、 もう残り少ないから、という理由でゆいか先輩はそれを拒否した。 如月くおんは残念そうにしていたが、私は嬉しかった。 二日目の夜、就寝時刻が過ぎた後、私は外へ出た。 去年と同じだ、 外のベンチに向かうと、ゆいか先輩が座っていた。 これも去年と同じだ。でも、今年は泣いていなかった。 「来ると思った」 「私も、ゆいか先輩はここにいると思いました」 「そっか、ふふ。じゃ、どうぞ」 座っていた場所の隣をとんとんと叩くゆいか先輩。 この所作も、去年と同じだった。 今年も遅くまで、彼女といろんな話をした。 夜風が心地よかった。 はあ、合宿、毎週やって欲しいぐらいよ。 とても楽しかったわ。 8月18日(日) 今日で14歳になった。 去年と同じで、おめでとうとは書かれていない書き置きと、 お金が机の上においてあった。 父も母も家にはいなかった。 全然嬉しくない誕生日だった。 8月30日(金) 部活が終わった後、 ゆいか先輩と広田さんと如月くおんでファミレスに行った。 もうすぐ夏休みも終わりだね、みたいな話をした。 夏休みが終われば、二学期が始まる。 二学期に行われる大会で、ゆいか先輩は引退する。 想像したくなかったことが、すぐそこまで来ている。 9月2日(月) 今日から二学期。 始業式は退屈だった。 9月15日(日) まずい。 今日の陸上の大会で、ゆいか先輩は自己ベストを更新した。 部員たちは手放しで彼女を賞賛したが、私はそうすることが出来なかった。 彼女は来月末の大会で引退する。 越えるチャンスはあと一か月程度しかないというのに、 ここでまたベストタイムを更新されるというのは、私にとって恐怖だ。 まずい、まずい。 このままだと越えられないまま終わってしまう。 9月18日(水) 図書館で走り方についての本を何冊か借りて来た。 ゆいか先輩が引退するのは10月27日の大会。 それまでに、何としてでも彼女を越えたい。 9月20日(金) 少しだが、自己ベストを更新できた。 でも、まだまだ。 10月7日(月) 今週末は体育祭がある。 女子リレーでは、広田さんが最初で、私はアンカーを務めることになった。 10月12日(土) 体育祭だった。 女子リレーの最初、広田さんが他の子よりもかなり速く走っていて驚いた。 彼女は陸上部内ではあまり速いとは言えない部員だったが、 今年になって練習をすごく頑張っていて、その結果が出ていた。 私がゆいか先輩ばかりを見ているあいだ、彼女はしっかりと実力をつけていたのだ。 結果は私たちのクラスが一位だった。 広田さんが嬉しそうにしていて、私も少し嬉しくなった。 でもまだだ。 私の戦う場所はここじゃない。 私はまだ勝っていない。 10月21日(月) 勝てなかった。 10月22日(火) 勝てなかった。 焦燥感を感じる。 10月23日(水) 走りたい。挑戦したいけど部活休み。 10月24日(木) どうする。どうする? 今日も勝てなかった。 ゆいか先輩は残酷だ。 私に一度も勝たせないまま、 背中を見せたまま、引退しようとしている。 明日と日曜日。 越えるチャンスはあと二日しかない。 10月25日(金) ダメだった。 いやでも、明後日がある。 私は、負けっぱなしは嫌だ。 明後日の大会で全力を出して、ゆいか先輩を越えてみせる。 やってやる。 10月26日(土) 明日の大会が最後のチャンスだ。 10月27日(日) 遠藤結花。 彼女は何度も何度も私と一緒に走って、 そして、私に一度も負けることなく、引退した。 走り終わって、その現実を目の当たりにした時、悔しくて涙が出た。 私だって頑張ったのに、どうしてゆいか先輩がいつも勝つの? どうしてこんなに残酷なの? 泣き顔を見られたくないのに、涙が止まらない。 泣き止むまでの間、私はずっとタオルで顔を隠していた。 大会が終わった後、去年と同じファミレスで追い出し会があった。 あまり食が進まない私を見て、望月さん大丈夫? と広田さんが聞いてきた。 彼女はいつだって優しい。 ゆいか先輩との会話はなかった。 10月28日(月) 陸上部の新部長が発表された。 部長になったのは広田さんだ。 妥当な人選だろう。 彼女は努力家で結果も出しているし、性格もいいから。 10月29日(火) 部活が終わった後、ゆいか先輩から 明日の放課後空いてる? とメッセージが届いた。 空いてます、と返信した。 10月30日(水) 放課後、校庭のベンチでゆいか先輩は待っていた。 「望月、ここどうぞ」 合宿の時と同じ動きで、彼女は私に隣に座るよう促す。 言われるまま腰掛けると、 目の前には日の落ちかけた校庭が広がっていた。 少しだけ肌寒い。 「ゆいか先輩、どうしたんですか?」 「望月に言っておきたいことがあって」 「言っておきたいこと?」 「うん」 「何ですか?」 「日曜日、泣いてたよね?」 見られていた。見られたくなかったのに。 沈黙していると、彼女は続けた。 「泣いてたのは、私に負けたから? それとも、私を含む三年が引退するから?  それとも、そのどっちでもない?」 その問いには答えたくない。 私の口は閉ざされたままだった。 「……聞くまでもないか。  私に負けたからだよね。  一度も勝てないまま、私に引退されるのが悔しかったんだよね」 「どうしてそれを、私に言う必要があるんですか」 口を開くのと同時に、眼の奥から涙が溢れて来る。 涙というのは、どうしてこうも意志に反して出てくるのだろう。 「望月、私、高校に入っても陸上続けるから。  泣くほど悔しかったら望月も続けなよ。  高校が別でも、大会とかで一緒になるかもしれないしさ。  私たち、まだ終わってないよ。  今日言っておきたかったのはこのこと」 そう言われ、歓喜と安堵が胸の奥から湧き上がって来るのを感じた。 私は、嗚咽を漏らして泣いた。 まだ陸上を続けるということ、それは彼女の本意なのか、それとも優しさなのか。 分からなかったが、私は嬉しかった。 これからも彼女と走れるということが嬉しかった。 挑戦出来るということが嬉しかった。 「ほら望月、泣かないの。よしよし、よしよし」 そう言って、ゆいか先輩は私の頭を撫でてくれた。 彼女の手は、とても暖かい。 何故か、ずっと昔母に同じようなことをされていたのを思い出した。 泣かないの、と言われているのにまた泣いてしまった。 11月3日(日) 「ゆいか先輩って高校どこに行くんですか?」 「九重(ここのえ)高等学校が第一志望だよ」 ゆいか先輩とそんなメッセージのやり取りをした。 私の志望校は決まった。 11月15日(金) 文化祭だった。 ゆいか先輩のクラスが劇をやっていて、 それだけは面白くて、他の出し物は眠かった。 11月17日(日) 家族の会話なし。 シャーファとは話した。 夜ご飯はチキンのトマト煮を作った。 11月18日(月) 「ねえ誰かさ~、ハードル出すの手伝って~」 部活前、ハードルを出していた如月くおんが 他の一年生に呼び掛けていた。 彼女はいつも私たち上級生に対して「~~っす」という、 いかにも後輩という話し方をしているので、 普通の言葉で話しているのは新鮮に感じる。 11月28日(木) よし、自己ベスト更新。 タイムを計測していた広田さんが、 ニコニコしながらこう言った。 「望月さんすごいねえ。  私ね、遠藤先輩が引退してね、  望月さんのモチベーション下がっちゃうかなって思ってたの。  でもそんなこと全然なくて、今日なんか自己べ出しちゃうんだもん。  すごいよ」 確かに私、ゆいか先輩の引退直後はモチベーションが下がっていたわ。 でも、彼女と私の戦いはまだ終わっていないことが分かって、 やる気に火がついたのよ。 12月8日(日) 来週は期末テストなので、図書館に行って勉強した。 気温が低く、図書館へ行く道中がとても寒かった。 もう冬だ。 12月13日(金) 期末テスト終了。 家庭科の問題で意地悪なものがあったわ。 難しいのではなく、意地悪ね。 簡単な問題たちの中にそれを忍ばせているのも性質が悪い。 別に無理して点数を取らなくてもいいので、そこだけを空白にしてテストを終えた。 こんな意地悪な問題、答えたくもないという意思の表れよ。 12月14日(土) お昼から部活。 新部長になった広田さんは、しっかりと部をしきっている。 彼女は二年生になって本当に変わったと思う。 最初はノロマで、ただ優しいだけの子だと思っていたけど、 優しさはそのままに、努力し、結果を出し、恐らく自信もついてきたのだろう。 最近の彼女は堂々としている。 この変化はなかなか興味深かった。 部活後、部員数人でファミレスに行った。 「オレンジジュース、飲まずにはいられない!」 そう言って、ドリンクバーで注いで来た飲み物を一気に飲み干すのは如月くおんだ。 飲み終えて、ぷはぁ~っと息を吐く彼女を見て、他の一年生がすごいすごいと言っている。 「一年生は賑やかだねえ」 私の向かい側に座っている広田さんが、 大きなベーコンの入ったカルボナーラを食べながらそう言った。 私はデミグラスソースのオムライスを食べながら、 本当にね、と答えた。 誰かと会話しながらご飯を食べるのは楽しい。 あれ、おかしいわ。 私、ゆいか先輩以外の人間は話のレベルが低いから嫌い、 と思っていたはずだったのに、今、楽しいと感じている。 広田さんが変わったように、私も変わったのだろうか。 不思議な気持ちだ。 今日も気温が低かったけど、帰り道は不思議と寒さを感じなかった。 12月15日(日) 広田さん、ごめんなさい。 私、心の中であなたのことを見下していたの。 でも、これからはそれをやめるわ。 12月20日(金) 今日は終業式。 明日から冬休みで、年末年始には家族でばあばの家に行く。 嬉しいけど嫌だわ。 喜びと嫌悪が同居している。 少しだけ嫌悪が勝っているかも。 12月24日(火) お昼過ぎ、部活が終わって家でのんびりしていたら、 スマホにメッセージが届いた。 「望月、今何してるの?」 ゆいか先輩からだった。 「ボーっとしてました」 「ゆいか先輩こそ何してるんですか?  もうすぐ受験ですよね」 連投してしまった。 「受験勉強疲れた笑」 「お疲れ様です」 「望月って今日暇?」 「暇ですよ」 「じゃあ出かけようよ」 「受験前なのにいいんですか?」 「いいの」 そういうわけで、夕方、私はゆいか先輩と二人で出かけて来た。 ゆいか先輩は少しだけメイクをして、洗練されたファッションで、まるで大人の女性のようだった。 イルミネーションで彩られた街を歩きながら、私たちは言葉を交わす。 「望月さ、去年、クリスマスが嫌いってメッセージくれたよね?」 「あの時はご迷惑をおかけしました」 「ううん、嬉しかったよ。私もクリスマス嫌いだから」 「そういう風に言ってくれましたもんね」 「うん。  でもね、今日、少しだけ考えが変わったかも」 「変わった?」 「うん」 「どう変わったんですか?」 「望月と一緒にこういうキラキラした場所を歩けるなんて、  クリスマスも悪くないなって」 そう言ってゆいか先輩は、私の語彙力では表現できない笑みを向けてきた。 あの、ドキドキするやつだ。 すっかり日が暮れて暗くなった街に、イルミネーションが宝石のように輝いていた。 綺麗だった。 街が。 そして、それ以上にゆいか先輩が。 「望月はどう? まだクリスマス、嫌い?」 笑顔のまま首をかしげて、彼女は聞いて来た。 どうかしてしまいそうだった。 何かに目覚めてしまいそうだった。 「私も、少し好きになったかもしれません」 「そっか。一緒だね」 私の、今にも消え入りそうな声での返事を聞き洩らさず、 ゆいか先輩は満足そうな表情を浮かべた。 その後もしばらく二人で街を歩いたり、買い物をしたりした。 この前、広田さんが変わって、私も変わったのかもしれないと思ったが、 ゆいか先輩も変わってきているようだ。 と言うか、今日変化したようだ。 いろんなことを考えて気力を消耗したのか、 帰宅しても夜ご飯を作る気になれず、 久しぶりにコンビニでお弁当を買って食べた。 美味しかった。 今日も家族は家にいなかったけど、いいクリスマスイブだった。 12月25日(水) 今日は部活が休み。休みで良かった。 昨日の夜、なかなか眠れなかったから。 去年のクリスマスは自分が惨めで眠れなかったんだけど、 今年はドキドキして寝付けなかった。 お昼過ぎに起きて、リビングに行ったら母がいた。 もちろん会話はない。 でも、どうでもよかった。 昨日が素敵な日だったから、家族が口を利かないことなんて、どうでもよかった。 12月30日(月) 明日からばあばの家に行く。 ばあばには会いたいけど、両親の幸せな家族ごっこは見たくない。