略奪愛なんて、初めてだった。 クライアントに本気になるのも、初めてだった。 全てが初めて尽くしで、正直――戸惑うばかりだった。 おそらく彼女は、そんな俺になんて気づいていないだろうが。  先程までの濃い情事の結果、意識を失った彼女はベッドの中で寝息を立てて眠っている。 正直まだシたりない感覚はあるが、どこまでヤったら満足できるのか、俺もよくわからない。 俺はきっと、彼女を特別だと思ってるし。 きっと、俺は彼女に溺れている。  いつもは、こんな風に昂ったりしない。 クライアントとの行為は仕事だ。 勃起したとしても、挿入なんてしない。 そんなものはリスクしかないからだ。  ――心だって動かされない。クライアントには大抵、帰る場所がある。 俺との行為は快感を知るためのものだ。 俺への気持ちは疑似恋愛。それでいい。  だからこそ。彼女が特別になってしまったことに、俺自身が一番驚いていた。    モデルや女優として活躍するような美しい女なんて、何人も俺の前を通り過ぎてきた。 俺に本気になった女もいたが、俺は本気になれなかった。 あくまでクライアントはクライアント。 そう割り切って、俺は今までこんなアコギな職業を続けてきたつもりだ。  でも、俺は。 単なるOLと、恋に落ちた。 気づけば、溺れているほどに。 奪う前より、奪った後の方がハマりこんだ。 ――自分でもらしくないと、思っている。  「ふぅ――」  ベランダで煙草を咥えながら、メッセージアプリを立ち上げて文字を叩く。 宛先は――数少ない、学生時代の友人だ。  「なぁ。――引退したお前に聞くのもなんだけど、クライアントを好きになったことってあるか?」  俺が口元の煙草に火を灯した数秒後、それは既読になり。 口の中に煙を含んだ瞬間に、夜行性の友人からのメッセージが返ってくる。  「俺のクライアントは、大体男だ。ない」    ぶっきらぼうな回答。――そうだ。こいつはいつだって聞いたことしか返さない。 仕事以外のコミュニケーション能力はない。 どうせ相談するんだったら、コイツじゃない方がよかったかもしれん。 完全に、人選を間違った。  こいつは社会との接点をしっかり持っている俺の様なタイプではなく。 調教師を引退して、今は不労所得万歳のヤツだ。 所有する不動産が生み出す金で、自由気ままに暮らしてる世捨て人だ。 ヤツのコミュニケーション能力に期待はしていないが、相変わらずのぶっきらぼうさに笑いがこみあげてくる。  もう片方の友人じゃなく。こいつに話を振った時点で、俺は俺のペースを崩している。    「――じゃ、商品だった女には? 情はあったか?」  意地悪な質問だ。――分かっている。 気持ちがなかったら、深い調教なんてできない。 奴が女に裏切られたことも知ってる。 それでもそんな意地悪を投げかけたのは、俺がいつもの俺でないことに、俺自身がイライラしていたからなんだろう。  少しの合間。奴はどんな顔をしているんだろうか。 大方、眉一つ動かさずに――俺へのメッセージを打っているのだろう。 アイツはそういう男だ。  「なかったら、今でも俺は調教師だったさ」  「――だろうな。ありがとう。――おやすみ」    答えなんてわかっていた。あぁ、答えなんて。  そうだよ、俺達が本当に想う相手に出会っちまったら。 こんなアコギな商売なんて続けられない。  女を特別として思えてしまったら。 もう俺達は、女を扱うことなんてできないんだ。 そこまで俺もヤツも、ぶっ壊れることができなかった。  「さてと。――次のビジネスはどうしようかな」  まぁ、チョクチョク買っておいた株などの投資で、まぁしばらくは普通に暮らせるだろう。 急ぐ必要なんてどこにもない。 この先のことは、彼女とゆっくり決めればいい。 俺は本気だ。彼女も本気だと嬉しいんだが。  「さてと。――寝る前に明日の朝食でも仕込んでおくか」    明日の朝のために、温かいスープでも用意してやろう。  吸い終わった煙草は灰皿に押し付けて。 俺は大きくため息をついて、室内へと足を向けた。