本編と続編の間のお話になります。 本編を視聴後にご覧ください。 ****************  「貴方、分かってるの? 自分の言ってること。――電話で済ませるつもり?」  「――ええ、存じた上でお話をしております。そして、敢えて電話でお話をさせていただければと」  「――別に、私は他に女がいてもいいと思ってるわ。私だって夫がいるし。今まで通り、月2回会ってくれるだけでいいのよ」  「すみません。俺は俺の気持ちに嘘を吐いたまま、貴方と向かい合うことはできないと思いました」  「私より好きな女ができたなんて、許さないわ。――絶対に」  「貴女の勘の鋭さは心得てます。そして、長く貴女を担当してきたからこそ――。俺は貴方に嘘を吐きたくなかった」  電話の先は、昔からのクライアントだ。セラピールームを閉じることを告げる挨拶の電話をしたのだ。 会えば、抱き合うことになるだろう。――でもそれは、してはいけないことだ。 お互いのために。ここで終わらせなければならない。 情がなかったわけじゃない。でも、相手には帰る場所がある。俺にも今は、帰る場所がある。  「――それって、本気の女ができたってことよね。まったく――」  彼女は弁護士。旦那様は医者。お互いの利害が一致して結婚した夫婦。 だから、セックスに対して楽しさを感じられない。それが、彼女が俺の元に来た理由だ。 俺は彼女を担当した。今では、旦那様と楽しい生活を送れているらしい。 だから。――俺はもう、必要ないはずなのに。 最後まで、彼女は独占欲を見え隠れさせる。  「貴方が私に本気だったらって、何度も思ったわ」  「すみません」  「――いいの。選ばれなかった私は、このステージから降りるだけだわ。で、お相手はいい女なの?」  「貴女からしてみたら、可愛らしいひよこ、と言うところですよ」  「――安心したわ。私より、すっごいい女って言われたら、横っ面張り倒しに行ってたわ」  俺は苦笑する。 電話の先のクライアントは、本当にいい女だった。 年は俺より少し上だが、金を湯水のようにかけた美しい体と。 女帝の様な威厳を放つ――薔薇の様な華やかさを持った女だ。 あれ以上に華美な女がいるとしたら。それは多分、芸能の世界の人物だろう。  でも、俺はそんなもので心が動かなかったんだ。  「ねぇ、これから他の女にも電話かけるんでしょ?」  「ええ」  「貴方、色々やってたみたいだから何かあったら言いなさい。助けてあげるから」  「――その時は、俺がクライアントになりますよ」  「安くしておくわ。――ありがとう。楽しかった」    少しの沈黙の後、切断ボタンを押したのは俺だ。 俺が押さねば、彼女は押せない。気持ちを残してくれているのが分かる。 だからこそ、俺からこの縁を断ち切った。  「あと30人か。骨が折れる」    元は自分の身から出た錆だ。判ってる。でも――これは自分で片づけるしかない。 セラピールームから家に帰ろうとした時に、メッセージアプリにメッセージが入る。 ――最近付き合い始めた女からの、メッセージだ。  「帰り、良かったら、家に寄って行かれませんか? ビーフシチュー、作りすぎちゃって」    少々、磨り減った心に、このメッセージは一服の清涼剤に感じる。 俺は肯定のスタンプを返し、彼女の家に車を飛ばした。 *****  元々は、抱き合うつもりじゃなかった。 ビーフシチューを食べて、風呂を借りて。 汗を流した後。――不意に、抱きたくなった。 寂しかったのかもしれない。心の隙間を埋めて欲しいと思ってしまったのかもしれない。  ソファで求め合って、抱き合って。何度か果てさせてから、自分を入れる。 粘膜の感触。甘い声。口内も、膣内も熱く潤んでいて。俺は脳裏に浮かぶ様々なことを思い返しながら、腰を揺らす。 俺が欲しいのは、この熱だ。 この熱だけだと思ってから、俺は変わってしまった。 でも、それは、とても――とっても心地よくて。 それでいて、とても不安で。  「先生。――こっち、向いて」    彼女が、俺を初めて制した。今までこんなことはなかったのに。 気持ちよさそうに上気しながら、でも、首を緩く振り。 ――少しだけ、悲しげに微笑んだ。  「先生、無理しちゃ、ダメです。――すごく、辛そうな顔してる」  「別に無理をしてお前を抱いてる訳じゃない。現に今だって――」  「先生とのセックスは気持ちいいです。でも――。そんな辛そうな顔してるの、私も悲しい」    多分、色々考えているのだろう。 彼女は、俺と付き合う前も後も、俺に聞いていない。  「私と同じように、先生は女の人を抱くのか」と。  答えはYESだ。――ほとんど、肉体的に繋がったりはしない。 先程の電話の彼女の様に繋がってしまえば、少なからず情が出てしまう。 だからこそ、相手をイカせても、自分の欲望は相手には見せない。  ――まぁ、長い付き合いになれば。前段の彼女の様な間柄になる場合もある。 それだって、30人のうち2人だけだ。  「――君に本気になってしまった。だから、俺は、俺のして来たことを精算する」   まだ、セラピールームを畳むことは彼女に伝えていなかった。 全部の客に挨拶をし終えたら、伝えようと思っていた。 でもそれが、彼女の不安を煽ってしまうならきちんと伝えておくべきなのだろう。この時点で。  ありがとうとも、そうですかとも。判りましたとも、嬉しいとも。 彼女は言わなかった。 ただ、ゆっくりと自分から俺を引き抜いて。俺の頬に自分の頬を重ねた。  「――待ってます。私、待つのは得意なんです」  知っている。辛抱強い人だから。前の男を増長させてしまったことも。 ――全部、知ってる。  「全部終わるまで、セックスはしない。――それで、いいか?」  「分かりました。――待ってます」    一度だけ口づけを交わすと、彼女は何も言わずにシャワールームに足を向ける。    「何やってんだよ、俺。――本命泣かせてどうする」    シャワールームからきっと長い間出てこない彼女に書置きだけ残して。 俺は衣服を整えて、彼女の家を後にした。  一日も早く、俺は――片を付けなきゃならないんだと言うことを、強く――意識した。