その日の帰り道、俺は小さなブーケを買った。  ふと目についた鮮やかなオレンジと黄色の彩り、それがやけに彼女を思い起こさせたから。  理由なんて特になくて、ただの気まぐれだと自分でも思っていた。  けれど部屋に着くあたりで唐突に気づいた。  そうだ、今日は──。 *** 「はい、これ」  部屋に着くなり迎えてくれた彼女にブーケを差し出す。予想に反して、彼女はまず目を輝かせた。 「わ、すごく綺麗!」  ブーケをまじまじと見つめて嬉しそうな様子に、頬がゆるみそうになる。彼女のことだから、まずは何事かといぶかしむと思っていた。  ただやっぱり──どうやって飾ろうかなと楽しそうに呟いたりして、ひとしきり鑑賞した後に彼女は俺に不思議そうな視線を向けた。 「それでどうしたの? このブーケ。自分で買ったの? それとも……誰かにもらったの?」  後半部分はどこか棘のある言い方だった。一緒にいるようになって俺自身も変わったと思うけれど、彼女だってだいぶ変わった。前以上に色々とわかりやすい。  かわいい嫉妬に心のどこかが満たされるのを感じながら、今度こそ俺は口の端を上げた。 「自分で買ったに決まってるだろ。今日は記念日だから」 「……記念日? 何の?」  本気でわからない、といった表情だ。  お互いの誕生日ではない、クリスマスなどの季節イベントでもない、ただの平日。彼女にとってはそういう認識で、俺だってついさっきまではそうだった。  でも──。 「覚えてないなら思い出させてやろうか」  俺はブーケを彼女の手から受け取って、ダイニングテーブルの上に置いた。彼女の瞳に警戒の色が浮かんで、なんだかおかしくて笑ってしまう。いまだに俺は彼女にとって「良からぬことをしでかす」男らしい。 「待って! 今すぐ思い出すからっ……!」  身の危険を感じたのか、彼女が一歩後ずさる。すかさずその手首をつかんで引き寄せた。 「いいよ、こっちの方が早い」  そしてそのまま彼女の脇に手を入れて、抱き上げて──。 「え、ちょっと、何っ……」  彼女をダイニングテーブルの上に座らせる。 「この体勢、もう答えだと思うんだけど。……ここが俺のデスクだとして」 「……あっ」 「正解」  何か言おうとした彼女の唇をふさぐ。多分「あの時の……」って言いたかったんだろう、そんな感じの声が俺の口の中で響いた。  そう、一年前の今日。  初めてオフィスで彼女を味わった。あの時はただの好奇心とほんの少しの意趣返しのつもり。でも今は──。 「待って……」 「待たない」  舌でつつけば、当たり前のように開く唇。口では色々言うくせに従順な彼女が愛しくてたまらない。思う存分に彼女の口の中を舐めて、舌を絡ませて──少しずつ彼女の体から力が抜けていく。 「もう……」  キスの合間に彼女からそんな声がもれて、背中に手がまわされる。強く抱きかえして、俺は囁いた。 「記念日おめでとう」  彼女は小さくふきだして、気恥ずかしそうにしつつも同じ言葉を俺に返した。その後で「……お花、ありがとう」と今日一番の優しく柔らかい声音で囁かれる。  ああ、これはだめだ。  俺は彼女の耳元に口を寄せた。 「ここでいれていい?」  途端に、彼女の体がこわばる。 「だめ!」  あまりにも予想通りな反応に、笑みがこぼれた。  彼女は知らない。その態度が一番俺を煽ることを。  ……いや、もしかしたら知ってるのかもしれない。もはやどっちでもいい。どっちにしたってやることは変わらない。心は決まってしまったから。 「大丈夫、ブーケはもうちょっと端に避けておく」 「そういう問題じゃなくてっ……」 「あきらめろ」  こういう攻防すら楽しくて愛しい。  さて、今日はどうやって攻めたてよう。  彼女の首筋にキスマークをつけながら、俺は指先で彼女の敏感な部分を探り始めた。 (了)