このTipsは、本編の理解に必読ではありません。 本作は、本編だけで、物語を楽しめるように作ったつもりです。 ですが、馴染みが薄かったり、難解な要素についてはTipsを用意いたしました。 併せて読んで頂ければ、より本編をお楽しみいただけるかと思います。 正直、調査が足らないと思っておりますが、これ以上は論文や外国語文献をあたらないといけないレベルなのでご容赦いただければ幸いです。 面白く理解を深めれる事を主眼に書いておりますので、はしょってしまったり、面白さや分かりやすさを優先して書いてしまった所が多々あります。 より深く、より正確に知りたい方は末尾の参考文献一覧をご参照ください。 〇油 まず、『白鯨』や、『白鯨』を元にした本作を理解するにあたり、現代日本人にとって障害となる点から始めたいと思います。 それは、現代日本人と作中の油に対する価値観の違いです。 価値観の違いは、3点からなります。 1点目は、価格について。 おそらく、皆様は高級なオリーブオイルなどは別として、油に対して価格が高いという認識を持たれていないと思います。 2点目は、カロリーについてです。 飽食の現代にあっては、高カロリーの油は美容や健康の大敵とされ、なるべく摂取を避けるべきものと嫌悪の対象にまでなっているようにすら思われます。 3点目は、利用法についてです。 おそらくは、油というのは調理用・食用くらいで、他にはせいぜいオイルマッサージのような美容用という認識ではないでしょうか? まず、1点目の価格についてですが、油は高くないというこの認識、実は結構おかしなものです。 オリーブオイルを例に取って考えてみましょう。 1ヘクタール(100メートル四方)のオリーブ畑で、1年に取れるオリーブの実は約2トンだそうです。 このオリーブの実を搾ると、約300キロのオリーブオイルが取れます。 オリーブの実に含まれる油分は、約15%ですので、ほぼ全ての油分を搾れるわけですね、優秀な圧搾技術です。 つまり、1ヘクタールあたり、約300キロの油が取れる計算です。 1ヘクタールあたり300キロというのは、他の作物でも同じくらいの値になるようです。 例えばゴマは50%も油を含みますが、1ヘクタールあたりの収量はオリーブよりだいぶ少なく600キロ程度ですので、それを搾った油はやはり300キロくらいになります。 それに対して、小麦の収量はどれくらいかと言えば、1ヘクタールあたり約4.5トンになります。なんと15倍です。 つまり、面積当たりの収量で値段を決めるとしたら、油には小麦の15倍の値段がつけられてもおかしくないわけです。 そして、実際、かつて油は高級品だったのです。 かつての植物油の価値に対する認識は、現代の我々が、デパートで売られている高級オリーブオイルの値札を見て、「何、この油、高っ!」と驚くような感覚だったかと思います。 なお、先に挙げた作物の収量は現代日本の値です。 つまり、品種改良と、農薬、進歩した搾油技術に加えて、畑が狭いぶん手間をかける事で収量を増やす日本農家の事情が加味された値となっています。 おそらく、かつての収量は2,3割くらいは少なかったはずです。 余談ですが、「アリババと7人の盗賊」で有名な「開け、ゴマ!」の呪文は、ほぼ直訳で、ゴマというのは、植物のゴマです。 アラビア語では「イフタフ(開く)・ヤー(掛け声)・シムシム(ゴマ)」、英語では「Open Sesame」です。 現代人からすると、「何で宝物庫を開く呪文が、植物のゴマなんだよ」、とマヌケに聞こえるかもしれません。 なぜゴマなのかは、定かではありませんが、一説によると「高価な油が取れる重要な作物だったから」だそうです。 次に、2点目のカロリーの問題です。 油にどれくらいのカロリーがあるかといえば、 炭水化物1グラムがおよそ4キロカロリーに対して、油1グラムはおよそ9キロカロリー。 2.25倍もあります、確かにこれは太ります。 ただ、食料が十分になったのは、20世紀中盤とごく最近の事。 むしろ、それまではカロリーが足りておりませんでした。 カロリーの高い油を摂取する事は、ごく最近まで生存に有利に働きました。 現在、生き残っている個体は、油を好んで食べる遺伝子を持った個体です。 ですから、脳は今も油を取った方がいいと判断するので、「生クリームたっぷりでおいしー!」とか、「霜降り肉、甘くて口の中でとろけるッ!」とかで、カロリー取り過ぎの原因になって問題視されているわけですね。 しかし、昔はカロリーが足りないので、「油、うめぇ!」は大正義で需要も高かったのです。 そして、高カロリーという事はもう一つ問題があります。 生産量が少ないのです。 炭水化物の2.25倍カロリーがあるという事は、油の方が炭水化物よりも生産にコストがかかるという事でもあります。 地球上で利用できるエネルギーの出発点は、だいたい太陽光からスタートしています。 太陽の光を受けて植物が光合成して、炭水化物や油という形でエネルギーをたくわえて、それを他の動物が利用するという感じですね。 その合成にたくさんのエネルギーが必要ならば、当然、面積あたりの生産量が少なくなります。 よって、需要が高いのに生産量が少ないから、価格が高いとなるわけです。 ここで、待ったが入ります。 太陽光エネルギーから油の合成がスタートするなら、合成される場所は別に陸である必要は無いのでは? と。 地球表面の陸地は3割、残り7割は海です。 つまり、海に降り注ぐ太陽光エネルギーの方が多いのです。 そして、面積あたりの効率は陸ほどは高く無いでしょうが、海でも植物性プランクトンや藻類が光合成をしています。 ですが、どうやって回収すればよいのでしょうか? 広大な海から植物性プランクトンをすくい取って油を絞るのは非現実的です。 光合成したエネルギーが自動的に油としてたまってくれる、都合のいい場所でもあれば話は別なのですが。 はたして、そんな都合のいい場所があるのでしょうか? はい、あります。そんな都合のいい所が鯨です。 海の食物連鎖の頂点にあって(シャチが天敵だったりしますが、シャチもハクジラ亜目なので大目に見てください)、かつ体も大きな鯨は大量の油をたくわえています。 鯨の個体差や、樽のサイズのばらつき、搾油技術や、大げさに言っていそうな記録もあって取れた油の量の記録にはかなりばらつきがあります。 それでも、信用できそうな記録を挙げますと、セミ鯨1頭から平均60バーレルの油が取れたそうです。 バーレルというのは、油を入れる樽に何個分という単位です。 だいたい1樽のサイズは120リットルくらいだったようです。 それに油の比重、0.91〜0.92を加味します。 計算すると、セミ鯨1頭から、120×60×0.91=6,552キロくらいは油が取れたようです。 セミ鯨としたのは、捕鯨の中心がセミ鯨だったからです。 同じ記録によるとマッコウ鯨から取れる鯨油は、25バーレルほどでしたが良質とされてより高値で取引されました。 なおハクジラ亜目の鯨油には人間が消化できない蝋が含まれるので、こちらは食用には向きません。 つまり、セミ鯨を1頭仕留めると、22ヘクタールの畑で1年間作業したのと同じくらいの油が取れるわけです。 よくある東京ドーム換算にすると、なんと約4.7個分。夢が広がります。 それも、現代日本基準での話です。昔だったらもっと広大な面積に相当するはずです。 現代でも、漁師が「万札が泳いでいるように見える」と実入りの良さを表現しますが、鯨の利益はその比ではありません。 高級品の油がそんなにたくさん取れたら、そりゃあ、「オヤジ、オレ、農家辞めて捕鯨船に乗るよッ!」ってなります。 3点目の利用法の話に移りたいと思います。 現代人は油の利用法というと、思い当たるのは食用と美容くらいだという話でした。 実は現在でも、気付かれてないだけで、もっと広く利用されていたりします。 例えば、油に強アルカリを加えると洗剤になりますし、油性インクなども名前の通り油が使われています。 意外なところでは、ダイナマイトに使われているニトログリセリンでしょうか。 油というのは、脂肪酸とグリセリンが結合したものです。そこからグリセリンを取り出して、ニトロ化してやるとニトログリセリンができるわけです。 もちろん、他にも色々あります。油は加工品として生活に浸透しているので、気付いていない用途が多いだけです。 そして、かつてはさらに切実な需要がありました。それが、灯り用の油です。 現代でも、停電等で照明が使えなくなると、ロウソク等のお世話になり、その切実なる需要が理解できるかと思います。 「日が沈んで暗くなったら寝ようね」とか言い出したら、起きて活動できる時間が1日13時間とかになってしまいます。 日中仕事したなら、もっと遊んだりしたいですね。 それに、屋内で作業しようとしたら、日光が入りにくいので、やはり灯りが欲しいです。 その灯りに油が利用されていたわけです。オイルランプとか行燈というやつですね。 それで、灯りをとるために油を燃やすと、油の種類によっては、悪臭やススが出ました。 臭いや煙が出る照明と、出ない照明、どちらを選ぶかと問われれば当然、出ない方でしょう。換気の悪い屋内で使うなら尚更です。 ですので、臭いや煙によって、灯り用の油にもグレードができました。 だいたい、鯨脳油>>>植物油>>鯨油>獣脂・魚油のような感じです。 臭いや煙が少なく、比較的安価な鯨油は灯り用の油として重宝されました。 ウィリアム・クルックスは『ロウソクの科学』に寄せた序文で、「人間が暗夜にその家を照らす方法は、ただちにのそ人間の文明の尺度を刻む。」と述べています。 鯨油照明を用いるのは、強大な鯨を狩って安価で良質な油を取れる文明の科学力の尺度でもありました。 まとめますと、油というのは、かつては現在よりも利用法が多くて、需要も価格も高かった。 そして、効率的に油を取る方法が捕鯨だった、という事です。 〇『白鯨』(原題『Moby-Dick; or, The Whale』) 『白鯨』は、アメリカの作家、ハーマン・メルヴィル(1819-1891)が、1851年に出版した長編小説です。 名作として知られ、「世界の名作100選」のようなリストにも確実に入ってきます。 日本語版は文庫で合計1500ページ弱もある大作ですが、あらすじにするととてもシンプルです。 エイハブ船長は、かつて、白鯨(モービィ・デック)に襲われ左脚を喰われてしまう。 左脚に鯨骨でできた義足を付け、捕鯨船ピークオッド号に乗り白鯨に復讐を挑むも返り討ちにあう。 ピークオッド号の乗組員は、語り手のイシュメールを残して全滅してしまう。 という話です。 『白鯨』は、日本のサブカルにも大きな影響を与えていて、 ・長月達平『Re:ゼロから始める異世界生活』、そのままな白鯨。 ・アリスソフト『ランス』シリーズ、ルドラサウムもおそらく白鯨が元ネタ。 (ただし、原作の白鯨はマッコウ鯨ですが、この2作の白鯨はデザインがゴンドウ鯨っぽい。頭にも背中にもコブが無く、目立つ噴気孔が2つある。あと歯のかみ合わせの良さには歯医者さんもニッコリ) ・尾田栄一郎『ONE PIECE』、白髭海賊団の船、モビ―ディック号。(こちらは口の中や口の下のラインがシロナガス鯨っぽいデザイン) ・サンライズ『THE ビッグオー』、ビッグオーの白鯨の名前を冠した装備「モビーディックアンカー」。 ・SQUARE『ロマンシングSA・GA3』、海の魔物に左脚を喰われ復讐を誓う、どう見てもエイハブ船長なキャラ、名前もハーマン。 ・コナミデジタルエンタテインメント『メタルギアソリッドVグラウンド・ゼロズ』、主人公のコードネームがエイハブ、輸送ヘリはピークオッド。イシュメールもいるよ。 ・朝霧カフカ『文豪ストレイドッグス』、作者ハーマン・メルヴィルが登場して、白鯨を召還する。 ・出ア統『白鯨伝説』、東京ムービー『ムーの白鯨』、『白鯨』が元ネタのSFアニメ。 他にも、日本のサブカル以外でも有名どころですと、 ・コーヒーチェーンの「スターバックス」、『白鯨』に出てくる一等航海士スターバックが由来。 ・ジェームズ・マシュー・バリー『ピーター・パン』、フック船長はエイハブ船長が元ネタ。 ・Ubisoft『Assassin's Creed W』『Assassin's Creed Rogue』、白鯨と闘える。 ・丸山健二『白鯨物語』、『白鯨』のリライト。 ・夢枕獏『白鯨 MOBY-DICK』、ジョン万次郎が、捕鯨船ジョン・ハウランド号に救出される前に、『白鯨』のピークオッド号にも救出されていたというIf小説。 ・トレイ・ストークス『バトルフィールド・アビス』、サメ映画へと堕した『白鯨』。 等々、他にもたくさんあるかと思います。 いくつもご存じの方も多いのではないでしょうか。 ただ、そんなに影響を与えていて、名作と名高い『白鯨』ですが、現代日本人が「この本は名作である」という先入観を捨てて読んだ場合に名作と感じるか、と問われるとはなはだ疑問です。 復讐譚のロマンは味わえると思うのですが、以下に挙げる理由で現代日本人には向かないのです。 1.油の価値が分からず、なぜそんなに捕鯨が重要なのかが理解できない。 2.日本語訳だと、原語の文章の良さが伝わらない。 3.宗教的、文化的、歴史的寓意が分からない。 4.そもそも、エンタメとして配分がおかしい。 1.は先の「油」の項目で説明しました。 2.は翻訳あるあるです。 例えば、原文には、  the spray that he raised,for the moment,intolerably glittered and glared like a glacier,  (堀内正規『「白鯨」探求 メルヴィルの<運命>』p.271 ll.4-5) と「gl」の韻を美しく踏んだ文章があるのですが、これを日本語訳すると、  一瞬、彼(モービィ・デック)が吹き上げた飛沫は、氷河のように耐えがたくきらめきぎらついた。 (同 p.271 ll.2-3()は加筆) と韻文の良さが消えてしまいます。 ただ、他言語に訳す際に原文のように韻を踏めというのは、もはや無理と言っていいレベルです。 これは仕方のない事でしょう。 3.これが最大の理由です。 『白鯨』の語り手イシュメールは『旧約聖書』のアブラハムの子イシュマエル、エイハブ船長も同じく『旧約聖書』の邪悪な王アハブが元ネタです。 そして、『旧約聖書』の文脈をふまえて物語が展開していきます。 それだけでなく、ピークオッド号の船員は人種も信仰もてんでバラバラで、人種のるつぼと称されるアメリカ合衆国を象徴しています。 実際、アメリカでは「ソ連のマークが付いた白鯨に、エイハブ船長の姿をしたアメリカ大統領がミサイルを銛のように突き刺す」といったような、アメリカ大統領をエイハブ船長にたとえる風刺画がよく描かれます。 さらには、ピークオッド号という船名は、北アメリカで最初に入植者と戦争し壊滅状態にされた先住民、ピークォット族に由来します。 そんな由来のピークオッド号が、白人を象徴する白色の鯨に挑んで壊滅させられるという寓意もあります。 つまり、『白鯨』は、アメリカという若い国における神話的な位置づけにある小説なのです。 寓意的要素について作中にもほのめかすような記述はあるのですが、これらを予備知識無しに理解するのは困難です。 そういった予備知識を現代日本人に求めるのは酷な話でしょう。 そして、これらが読み解けないと、ロマンある復讐譚として味わうようになってしまいます。 4.『白鯨』をロマンある復讐譚として読むと、今度はエンタメとしての完成度が問題となります。 『白鯨』は名作といっても、足すものも引くものも無い完璧な作品ではなく、足すものも引くものもある作品なのです。 いきなり、鯨に関するスクラップブックから始まり、ストーリーの合間にも「鯨学」と言われる本編のストーリーを離れて鯨について説明する章が全体の3分の1程も入り、テンポが悪く、多くの読者がつまずきます。 白鯨との闘いよりも、復讐の狂気に駆られた悪魔的なエイハブ船長と、信仰心厚く合理的な判断をするスターバック一等航海士とのやり取りが大きなウェイトを占めます。 おまけに、佳境の白鯨との闘いは全体の5%程度しかなく、白鯨への執念を熱く語り続けたエイハブ船長も拍子抜けする程あっけなく退場してしまいます。 その原作箇所を引用すると、  銛が投じられ、銛を打たれた鯨は急発進し、綱は摩擦で発火せんばかりの勢いで綱受けの溝を疾走し溝をはずれた綱はもつれた。エイハブは身をかがめてもつれをなおそうとし、事実みごとにもつれはなおしたが、桶から飛ぶように繰り出す綱がその首に巻きつき、トルコの唖者の絞首刑執行人が犠牲者の首をしめるときのように声もなくボートから姿をけしたので、乗組みはだれもエイハブがいなくなったことにしばらく気づかなかった。  (ハーマン・メルヴィル著,八木敏雄訳『白鯨 下』位置No.5735-5740) これで終わりです。この後、エイハブ船長自身に関する記述は一切ありません。 自分の投げた銛綱が首に巻き付いて、海に引きずり込まれる最期なのはまだいいとしても、それが誰にも気付かれなかったり、海中で執念を見せるでもなくフェードアウトなのはあまりに盛り上がりに欠けます。 まあ、当時は語り手が見ていない事を書かないような風潮があったせいかもしれません。 語り手であるイシュメールだけ生き残るのは、そうしないと物語を語れた者がいなくなってしまうからだとか。 そんな理由で、ピークオッド号が白鯨にボコボコにされる様は、イシュメールが見れていないと考えたのか、ごくあっさりとだけ書かれて、ほとんどのキャラが記述も無く退場してしまいます。 スターバックの最期が語られないのは、原作通りなのです。 こういった、鯨学でテンポ悪い問題やエンタメとしての満足度低い問題は、3.の寓意的な意味が十全に伝わるはずのアメリカでも問題となりました。 『白鯨』は発表当時、酷評されていたのです。 再評価されたのはメルヴィルの死後で、生前はパッとしない、まるでゴッホのような作家でした。 そして再評価された後でも、あらゆるリメイクでエイハブ船長の最期はドラマチックに書き直されています。 現代においても、エンタメとしての満足度の低さは問題視されているのです。 と言うわけで、名作という先入観をもって読まなければ、いい作品と思えるかは疑問です。 他にも情報が古いので、鯨学に書かれている情報がかなり間違っていて、しかもその情報はストーリーに特段からんで来るわけでもありません。 懐古の感覚を味わいたいのでなければ、別に読み飛ばしてしまって問題が無かったりもします。 ただ、鯨学については、鯨の調査が難しかったり、捕鯨の情報が少なかったりするようですので間違ってしまったのは仕方ない事でしょう。 鯨の知識に関しては、2021年に出版された夢枕獏による改作『白鯨 MOBY-DICK』でも、  「死んだら、背美(セミ)鯨は沈むがよ。ほんじゃけん、生きちょう間に、鯨の背に穴あけて、そこに縄を通して船から引っぱって、沈まんようにするがよ」  (夢枕獏『白鯨MOBY-DICK』位置No.943-944()はふりがなを加筆) という記述があるのですが、これは誤りでセミ鯨は死んでも浮くのです。 セミ鯨の英語名はRight whaleで、これは「もっとも捕獲に適した鯨」という意味です。 なぜセミ鯨がもっとも捕獲に適しているのかと言うと、泳ぎが遅く、鯨ヒゲも取れ、肉や油も食用に向いて、何より脂肪層が厚くて大量の油が取れ、その脂肪の軽さで死後も水に浮くからです。 個体差で死後に沈むセミクジラもいたようですが、その割合はかなり低いそうです。 同書には他にも、  心臓をねらうにも、やり方がある。潮を噴く穴と頭との間の、穴に近いところに、ゼンザイという場所がある。ここから剣を刺して、心臓まで先を届かせるがよ。  (同,位置No.1644-1646) とありますが、これもかなり怪しい記述です。 おそらく、夢枕獏は、鯨が潮を吹く穴が背中にあると勘違いしています。 実際のところ鯨の噴気孔は、鼻の穴ですので頭の中ほどにあるのです。 鼻と頭の間とは人間で言えば額です。 ここを刺しても、心臓に到達する前に頭蓋骨に阻まれてしまいます。 と、夢枕獏には、『白鯨』の研究者まで付いていたのですが、いろいろと怪しい記述があるのです。 まして、より情報が少なかったメルヴィルを責めるのは酷。ましてまして、僕の記述が間違っていても責めるのは酷な話かと思いますので、がんばって調べたつもりですが間違っていてもご容赦いただければ幸いです。 やや話が飛びましたが、本作では『白鯨』のストーリーはなぞりつつも、現代日本人が楽しめるように、宗教や文化、歴史的な文脈はすっぱり捨て、エネルギー問題に焦点を当てて大幅な変更を加えてあります。 例えば出身地、 主人公、ハーマンはスコットランド生まれですが、原作者ハーマン・メルヴィルは父親がスコットランド系、母親がオランダ系のアメリカ生まれです。 スターバックも、アメリカのナンタケット生まれですが、ナンタケットはイングランドからの移民が多いので、イングランド生まれに変更してあります。 アメリカ人がアラビアに来るのは時代的に少々おかしいので、このようにしました。 スターバックに関しては、「スターバックス」の名前の元になっており、スターバックス、アメリカ本社のサイトには、  Our name was inspired by the classic tale, “Moby-Dick,” evoking the seafaring tradition of the early coffee traders.  (https://www.starbucks.com/about-us/)    私たちの名前は、初期のコーヒー貿易業の船乗りの伝承を想起させる古典文学『白鯨』から着想を得たものです。 とあるのですが、なぜ『白鯨』がコーヒー貿易の伝承につながるのかは、よく分かりません。 コーヒー豆をピークオッド号に積む描写はありますが、飲む描写が無いのは確かです。 ですが、それは交易のために積んだのではなくて、単に飲む描写が省かれただけだと思います。 おそらくスターバックス創業メンバーの勘違いです。 岩波文庫版の八木敏雄による注ですと、「コーヒー好きの一等航海士スターバック」が由来とありますが、そのように勘違いしていたのかもしれません。 ですので本作では、アラビックコーヒーとエスプレッソの中間のようなものを飲んでもらいました。 ハーマンとクィークェグの配当も、原作では300番配当と19番配当ですが、これも実態とかなりかけ離れた数字ですので、実例に近い数字にしております。 1830-40年代の実例ですと、船長16番配当、一等航海士29番配当、銛撃ち75番配当、一般船員110-130、グリーンハンズ(新人)125-150でした。 捕鯨黄金期には、もっと上下の開きが大きかったようですが、それでも300と19は過剰すぎです。 また、宗教的な文脈も廃したので、白鯨もアルビノの鯨にはしませんでした。 アルビノという神聖さを象徴するような白は、本作にはふさわしくないと判断したからです。 本作の白鯨は、強すぎる闘争心の故に、傷跡で全身が白くなった鯨として描いています。 マッコウ鯨の皮膚は、傷を負うと傷跡が白く残ります。 皮膚に白が多い鯨というのは、数々の闘争を勝ち抜いてきた恐ろしく強い鯨なのです。 同様の表現を用いた作品に、ロン・ハワードの映画、『白鯨との闘い』があります。 この映画は、アメリカの捕鯨船エセックス号が全長28メートルのマッコウ鯨に襲われた実話を映像化した作品です。 全長28メートルは盛っていると思いますが、生存者の証言によると28メートルなのだそうです。 メルヴィルも、『白鯨』を書く際にこの事件を参考にしています。 この『白鯨との闘い』に出てくるマッコウ鯨は、アルビノではなく白っぽい部分が多い好戦的な鯨で、本作ではこちらの方の白鯨を元ネタにしております。 〇鯨 鯨は、とても大きいので『旧約聖書』に出てくる海の怪物レヴィアタンによくたとえられます。 レヴィアタンはヘブライ語読み、よく聞くリヴァイアサンというのは英語読みです。 アラビア語ではルーヤーターンとなりますが、何を指しているのか伝わらないと思いましたので、『旧約聖書』に使われたヘブライ語の読みを採用しました。 原作『白鯨』の中でも、レヴィアタンというヘブライ語読みが使われています。 鯨には大きく分けて2種類あり、ヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目に分かれます。 ヒゲクジラは、口の中にクシ状のヒゲがあるタイプの鯨です。 エサとなる小魚やプランクトンを海水ごと一気に飲み込み、口を閉じて海水を吐き出すと、エサがヒゲに引っかかって口の中に残るのでそれを食べます。 ヒゲは歯が変化した物ではなく、上あごの組織が変化した物で、カルシウムでなく、ケラチンという爪と同じ物質でできています。 ヒゲクジラは全体的に大きく、地球上最大の動物であるシロナガス鯨もこちらに属します。 シロナガス鯨は、体長26メートル、体重120トンという文字通り桁違いの大きさをしています。 それに対して、ハクジラは歯があるタイプの鯨です。 実は、イルカはこのハクジラ亜目で、体長4メートル以上のものを鯨、4メートル以下のものをイルカと言います。 それとは別枠で、体長9メートルくらいのシャチもこのハクジラに属します。 白鯨のモデルになったマッコウ鯨は、このハクジラです。 ここからは、マッコウ鯨の補足説明です。 マッコウ鯨は、オスが体長18メートル体重45トン、メスが体長11メートル15トンと、メスに比べてオスの方がかなり大きくなっています。 マッコウ鯨の特徴は、何と言っても張りだした額のコブです。 このコブには鯨脳油という、香りの良い白濁した油がたくわえられています。 鯨脳油の見た目がそんななので、英語名はsperm whale。それがマッコウ鯨の精液であると誤解され、精液鯨というひどい名前が付いています。 ちなみに、この鯨脳油を初めて科学的に分析したのは、拙作『やさしい吸血鬼の殺し方』に出てきた外科医ジョン・ハンターです。 この鯨脳油、マッコウ鯨の体温よりも少し低い温度で固まる性質があります。 物体の性質として、固まると体積が小さくなって密度が上がり、溶けると体積が大きくなって密度が下がります。 ですので、深く潜る時は、噴気孔から取り入れた海水で鯨脳油を冷やして固め、密度が高くなった鯨脳油を重りに一気に潜り、反対に海面に浮き上がる時には血液で温めて溶かし、密度を低くした鯨脳油をウキに使って効率よく上がる事で、3000メートルという他の鯨が至れない深さまで潜る事ができるのです。 ……と、もっともらしい解説がいろんな所で語られていますが、センサーを取り付けて観測したところ、鯨脳油をそんな風に使用しているデータは得られなかったとの事。 この利用法を裏付けるような観測結果は現状存在せず、どうやら間違いのようです。 3000メートルまで潜るという話も、水深が3000メートルある海域で捕獲したマッコウ鯨の胃袋から海底性のサメが出てきたのが論拠だそうで、センサーで測った限りですと潜るのは2000メートルくらいまでだそうです。それでもすごい深さですが。 ちなみに、同じハクジラ亜目のアカボウ鯨が深度の記録保持者で、こちらは3000メートルくらいまで潜ったのがセンサーで観測されています。 では、鯨脳油は潜るのに使わないなら何に使っているのかというと、残念ながらハッキリしません。 ただ、鯨はエコロケーションといって、音を発して、物に当たって跳ね返って来た音から周囲の状況を知るという能力を持っています。 いわゆるソナーで、光が届かない深海での活動には欠かせない能力です。 この音は、額のメロンと呼ばれる器官で増幅させて出すのですが、額がひときわ大きなマッコウ鯨は、出す音も他の種類の鯨と比べて大きく、鯨脳油が詰まった額のコブは大きな音を出すためではないかと推測されています。 大きな音を出すのは、ソナーの能力を上げるため、遠くの仲間と会話するため、エサに大きな音をぶつけて気絶させるためなどと言われています。 また、額のコブには武器として使うという用途があります。 マッコウ鯨が2000メートルという異常な深さまで潜れるのは、筋肉中にミオグロビンという、タンパク質が大量に存在するからです。 このミオグロビンは、酸素をたくわえる性質を持っているので、マッコウ鯨は肺呼吸の哺乳類にも関わらず、40分〜1時間も潜水できるのです。 深く潜る際には、意外にも肺の中には空気をほとんど残しません。 人間が水中を急浮上すると、潜水病という症状が現れます。 血液に溶け込んでいた窒素が血管や細胞内で気泡になって現れて、血流を物理的に阻害したり、マヒやめまいといった窒素酔いを起こすのです。 窒素には、麻酔作用があるのでこのような事になってしまうのです。 窒素酔いは、鯨にも同様に起こってしまうので、血液中に取り込まれる前に肺の中から窒素を含んだ空気を吐き出してしまうという対策を取っているわけです。 では、2000メートルまで潜って何をしているのかと言うと、エサを取っています。 マッコウ鯨の好物は深海性のイカで、10メートルを超えるダイオウイカまで食べてしまいます。 イカはカロリーが高く、そんな深さですと他にエサの取り合いになる相手もほとんど居ないので、深く潜るのにエネルギーを使うだけのリターンがあるのです。 歯は生えているものの、食事にはあまり使わなかったりします。 歯を使おうにも、下あごにしか生えていない上に、歯の間隔がスッカスカなので噛み切るのに向いていません。 では、どうやって食べるかと言えば、吸い込んで飲み込むのです。 ただ、水中ですので人間のように横隔膜を使って吸い込むと、肺が水浸しになって酷い事になってしまいます。 ですので、口をすぼめた状態で、喉のあたりを広げる感じで吸い込みます。 マネをしてみると、人間でもヒュっと音を立てて空気が口の中に入るのが分かります。 ピノキオ(アニメ版)でゼペット爺さんを噛まずに丸のみした鯨はマッコウ鯨ですが、描写としては間違っていないのです。 歯は食事ではなく、攻撃や求愛のディスプレイに使うようです。鹿の角みたいな感じです。 脚を噛まれたエイハブ船長は、飲み込もうとしたのをかわし切れなかったのか、攻撃対象として見られたのでしょう。 最後に、マッコウ鯨の腸の中から見つかる龍涎香ですが、本編中で言った通り何なのかよく分かっていません。 先にも、言いましたがマッコウ鯨のエサは、他の鯨と異なり深海性のイカが好物ですのでそれが関係しているようではあります。 イカの鋭いくちばしが、マッコウ鯨の腸に刺さると保護のために腸から特殊な脂肪が分泌されますので、それが固まった物だとか、イカ由来の成分がマッコウ鯨の腸の中で変化してできた物などと考えられています。 深海性のイカと言うのは少々特殊で、普通の魚が浮袋の空気で浮力を調節するのに対し、深海性のイカはアンモニアをたくわえる事で深海を漂うよう浮力を調整しています。 龍涎香の由来は、そのあたりが関係しているのかもしれません。 また、そんなアンモニアを大量に含んだイカを好んで食べるのでマッコウ鯨の解体時、特に胃を切り開くとひどい臭いがするそうです。 なお、『白鯨』のモービィ・デックのようにアルビノのマッコウ鯨は実在し、写真に収められています。 鯨の図鑑では必須の1枚ですし、「マッコウクジラ アルビノ」でインターネット検索しても簡単に見つかります。気になる方は検索してみてください。 〇捕鯨 捕鯨は、世界各地で非常に古くから行われておりました。 捕鯨方法に最初に革命を起こしたのは、スペインとフランスにまたがる地方に住んでいたバスク人でした。 バスク人は、岬の高台に設置した見張り台から鯨を発見すると、リーダー1名、銛撃ち1名、ボートの漕ぎ手4,5名というチームでボートに乗り込み鯨を銛で仕留めるという、組織的な捕鯨法、バスク式捕鯨を開発しました。 ただ、バスク式捕鯨の開発時期に関しては、よく分かっていません。 ローマ帝国が崩壊して、地中海沿岸のオリーブ産地がゴート人やアラブ人の手に落ちると、オリーブオイルが入手しづらくなり、代用品として鯨油の需要が高まります。 それに加えて、鯨ヒゲで作ったボーンで服を膨らませるというファッションのブームも追い風となり、バスク人の捕鯨産業は拡大していきました。 そうして1540年代になると、バスク人たちは近海だけでなく、徐々に遠洋まで船足を伸ばし、さまざまな地域にバスク式捕鯨が伝播していきました。 そのバスク式捕鯨の継承者となったのがアメリカ、俗に言うヤンキー・ホエーラーズです。 アメリカの捕鯨船が、新大陸東岸の鯨を大量に捕獲したために、大西洋の鯨が激減しました。 そうなるとアメリカ捕鯨船は、さらなる鯨資源を求めて遠征するようになります。 そうして、アフリカの喜望峰を越えて、太平洋で豊富な鯨を見つけたのです。 これが『白鯨』の時代です。 太平洋に行くのには、地図上ではアメリカ大陸南端のホーン岬を越えた方がはるかに近いのですが、それにも関わらず喜望峰を越えているのは、当時の船舶ですとホーン岬や喜望峰を西回りに通過する事ができなかったからです。 南極海は、西から東に向かって吹く偏西風の影響で、東向きの波が発生します。 しかも、南極海には波の勢いをやわらげるような陸地が無いため、強い波が発生するのです。 そして、アメリカ大陸やアフリカ大陸がせり出して海が狭くなっているホーン岬と喜望峰では、そんなただでさえ強い波が収束して、東向きの非常に強い波になるのです。 これは、風で進む帆船はおろか、当時の蒸気船でも越える事ができないレベルでした。 ですので、ペリーは蒸気船で日本に来ていますが、アメリカ東海岸を出発して喜望峰を越える東回りのルートで来ています。 ちなみに、ペリーが署名した日米和親条約は、捕鯨船の補給基地確保と遭難した捕鯨船の船員の人身保護も目的としています。 この頃のアメリカは、国家規模で捕鯨を重要視していたのです。 そうやって東回りで太平洋に行って、鯨を取り、船倉を鯨油でいっぱいにすると、ホーン岬を越えてアメリカ東海岸に戻るのです。 そういうルートを考えると、アラビアには地理上の有利があります。 インド洋西部では、夏には南西に、冬には北東に向かって季節風が吹きます。 夏に行って、冬に帰るように時期を狙えば、太平洋へのアクセスがいいのです。 これがシルクロードの海の道です。 なお、アメリカ捕鯨船が作った鯨の分布図によるとインド洋には、ほとんど鯨がいないようなので捕鯨の際には太平洋まで行く必要があるかと思います。 そんなわけか、実際のアラビアでの捕鯨記録は見つかりませんでした。 アメリカ捕鯨船が主に狙うのは、セミ鯨とマッコウ鯨でした。 この2種の鯨は、死後に沈まず浮いているという大きな利点がありました。 捕鯨の対象として見ると、セミ鯨は、体が大きく、泳ぎが遅くておとなしく、鯨ひげが取れ、肉がうまいと、非常にすぐれた獲物でした。 マッコウ鯨の方は、異常に高価値の龍涎香が取れる可能性がある、価値の高い鯨脳油が取れる、マッコウ油の方が高額と、取るのは難しいですが十分なリターンのある獲物でした。 鯨の中には、マッコウ鯨よりも大きな、シロナガス鯨やナガス鯨もいます。 そして、それらの鯨にもアルビノがいます。 それなのに、なぜ白鯨はマッコウ鯨なのでしょうか? それは、当時捕獲できた鯨の中で一番強い鯨が、マッコウ鯨だったからだと思われます。 ナガス鯨は泳ぐのが早く、体も大きすぎ、死後に沈むので、当時の捕鯨対象としては現実的では無かったのです。 さらに大きなシロナガス鯨は、先に波が強いと説明した南極海に生息しているので、存在すら知られていませんでした。 こうして栄えたアメリカの捕鯨も、やがて下火になっていきます。 乱獲による鯨の減少で鯨油の値段が高くなる一方で、ダイオウマツからカンフェン、アスファルトからケロシン、石炭から天然ガスといった、より安価な灯り用の燃料が開発され競争力を失っていったのです。 そして、南北戦争で、捕鯨船が南軍の標的にされて数が激減したのが決定打となりました。 アメリカ捕鯨船の減少で、鯨たちは平穏を取り戻したかに思われました。 そんな事情が変わったのは、1870年。ノルウェーのスヴェンド・フォインが高速艇から、爆薬を搭載した銛を火薬で撃ち出すという、捕鯨砲を開発し、手つかずだったナガス鯨類を獲物とする事が可能になったのです。 そうして、南氷洋漁場を開発すると、ノルウェーに続いてイギリス、ソ連そして日本も南氷洋でのナガス鯨漁を行いました。 冷蔵技術の発達もあり、取った鯨の肉を遠い本国まで運ぶ事も可能になりました。 南氷洋捕鯨は、1972年にストックホルムの国連人間環境会議で「商業捕鯨中止勧告」が出されても続けられ、今に問題を引きずっているわけです。 灯り用の油としての寿命を終えた後でも、鯨油には利用法がありました。 イギリスでは、羊毛産業で、羊毛を洗うための安価なせっけんが求められていましたし、鯨油からマーガリンを製造する技術の開発によって食用に、そして、ニトログリセリンに加工し戦争に欠かせない爆薬にするという需要もありました。 大戦時には鯨油の資源封鎖が起きたほど、重要な戦略物資だったのです。 他には意外にも、鯨脳油は潤滑油として非常に優れていて、-40度でも凍らないという性質を買われ、1970年台まではロケットの部品の潤滑油という重要な役割がありました。(先の、鯨脳油はマッコウ鯨の体温より少し低い温度で固まるという情報に反するのですが、固まりやすい蝋成分を取り除いて利用するのでしょうか?) NASAはこの点について語っておりませんが、1969年に月面着陸したアポロ11号にも、鯨脳油が使われているはずです。 よく鯨の減少について、アメリカが灯り用の油にするために大量に獲ったからだ、日本は鯨を捨てる所も無く大切に使ってきたという意見を目にします。 確かに、アメリカは少なく見積もって42万頭ほどセミ鯨やマッコウ鯨等を獲っています。 しかし、その後のノルウェー式捕鯨では、もっと大きな、つまり成長にコストのかかるナガス鯨やシロナガス鯨等を、ノルウェー、イギリス、ソ連、そして日本の4ヶ国が合計130万頭も獲っています。 日本だけでも、30万頭。そして、鯨油を西洋諸国に輸出して大儲けしています。 残さず使ったから大切にしたという理屈も、残さず食べるのが鯨にとってよい事なのかという疑問もあります。 それに、アメリカが獲っていたマッコウ鯨は臭みがあるので世界的に見ても食用にする民族は稀です。 まして、アメリカ捕鯨黄金期は冷蔵技術が無い頃なので、腐ってしまう前に1つの船だけで数十トンもある鯨を食べきるのは無理な話です。 鯨の減少をアメリカだけのせいにするのは、日本にとって虫の良すぎる話だなー、と思ってしまいます。 個人的には、鯨を全く獲るなと言うのは、根拠も弱く行きすぎな話かと思います。 しかし、鯨を調査対象としてなり、資源としてなりの捕獲を是とするならば、鯨をもっと大切にした方がいいんじゃないかなとも思います。 プラスチックやペットボトルからなる海洋プラスチック、生物濃縮された化学汚染等が、目下、鯨の生存を脅かしている問題です。 捕鯨云々言うなら、最低限ゴミの始末くらいはちゃんとするべきではないでしょうか? 〇シンドバード シンドバードは、アラビア語で「インドの風」という意味です。 英語読みでは、シンドバッド。 アラビア語原典が見つかっていない作品です。 『白鯨』と違って、とても短く、説明が必要な所もほとんどありません。 青空文庫で、菊池寛のものが読めますので気になる方はそちらをどうぞ。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card43121.html 〇スチームパンク スチームパンクは、SFのサブジャンルです。 説明しづらいのですが、蒸気機関の技術が異常発達した世界、基本的には別の世界線のヴィクトリア朝イギリスを舞台にしたSFという感じです。 現実には実用化に至らなかった、蒸気自動車(ガーニー)とかが普通に走り回っているような世界観です。 日本の有名な作品で言うと、枢やなの『黒執事』や、セガの『サクラ大戦』シリーズ等がそうです。 このスチームパンク、正直、『白鯨』と同様に、日本人には面白さが分かりにくいです。 蒸気機関や、歯車、飛行船、ゴーグルなどといった、「スチームパンクな」ガジェットは分かりやすく、日本人にも人気があります。 しかし、日本のスチームパンクはそういった「スチーム」要素はあっても、「パンク」要素に欠けると評されるのです。 「パンク」という言葉は訳しにくいですが、あえて訳すなら「反抗的」となるでしょうか。 スチームパンクは、異常な産業革命がもたらした、ナンセンスな成長の面白さを描くと同時に、もたらされてしまった負の部分にも焦点を当てるジャンルなのです。 中世までは、GDP(国内総生産)を増やすのに必要なものは人口と土地でした。 それまでの1人当たりのGDP成長率は、世界平均で年間0.05%とほとんど成長していませんでした。 それに対して人口は年2%とか増やせるので、国の力を増やすには人口増加と増やした人が働く土地を増やすのが得策だったのです。 しかし、19世紀中盤に産業革命が起きると話が変わってきます。 産業革命によって、イギリスが1人当たりのGDP成長率が1.26%を記録し、技術と科学力による第2の発展の方向性を打ちだしたのです。 GDP世界一の座は、長らく中国が占めていました。 温帯、黄河と長江という大河、横に長い広大な土地というチート立地によって圧倒的な人口を養えたからです。 イギリスは、産業革命によってその中国を追い抜き、GDP世界一に躍り出ました。 イギリスは豊かになりましたが、産業革命には無視できない負の部分が多々ありました。 ・産業革命昔話 工場での生産が始まると、選ぶ権利があるのは工場を持っている資本家の方になりました。 労働者が労働環境の改善や賃金の上昇を求めても、「お前の代わりに安く働いてくれる人間がいくらでもいるから辞めていいよ」と言い返されては、何もできないからです。 そうやって資本家の力が強くなり、労働者からの搾取が始まりました。 労働者は、1日12〜14時間という超絶ブラック環境で働かされ、「お前じゃなくても代わりはいくらでも居るんだよ」と安月給。 製品を売ってもうかったお金は資本家の懐に消えていきます。 子供でもできるような単純作業も多く、児童労働も当たり前でした。 賃金が安くてすむ子供を使った方が、資本家にとって利益が大きいのです。 そして、労働者に高い賃金を払うと、労働者が子供を工場で働かせる必要が無くなってしまい、資本家の利益が支払った賃金の差額以上に減ってしまいます。 なので、労働者の賃金はギリギリまで抑えられたのです。 そうやって作った製品が売れなくて賃金を払えない時には、「お金が無いから代わりに作った製品で給料払うね。てへぺろ☆」とか言い出しました。 待ちに待った給料で、シャツ50枚とか渡された時の絶望感は相当なものでしょう。 マルクスが、「あの資本家たちどうにかすべきだ」と言い出すのも納得なひどい有り様です。 都市部に人口が集まり、その人たちが排出した汚物はテムズ川にドボン、テムズ川は茶色に染まり、世界一汚い川となりました。 飲料水も汚染されて、衛生環境最悪です。 工場の蒸気機関や家庭で暖を取るのに、石炭を燃やしていたので、煙突が吐き出すドス黒い煙がロンドンの空を覆います。 ロンドンは霧の町として知られますが、その霧に硫黄を含む石炭を燃やした際に発生する亜硫酸ガスが混じり、強酸性の霧まで発生しました。 1952年には、この霧で12000人以上の死者を出しています。 ススで煙突が詰まると一酸化炭素中毒のような事故に繋がりますので、煙突掃除も必要でした。 ここでも子供の出番となります。 狭い煙突に入って掃除するには、小柄な子供の力が必要だったのです。 有害な物質まみれのススを吸って肺を病んだり、ススが混じった汗が股にたまって陰嚢癌が多発しました。 労働時間も環境も最悪で、働く労働者には体力の限界がやってきます。 怒鳴られたり、鞭打たれたりしても、いつまでも働けるわけではありません。 ですから、体力の限界を超えて働けるようにしてくれる物が必要になりました。 穏当な物では、紅茶です。砂糖もたっぷり入れました。 今でも栄養ドリンクでおなじみのカフェインと糖分の組み合わせです。手早く飲めるのも高評価でした。 そして、アヘンやコカインといった麻薬。 こんな時代に登場したヒーローなので、シャーロック・ホームズはアヘンとコカインをキメるわけです。 ただ、さすがに麻薬の中毒性が問題になりました。 ですのでこう考えました、「不純物が混じってるから中毒性があるんじゃね? 有効成分だけ取り出せばイケるっしょ」と。 こうしてアヘンから有効成分を抽出したモルヒネは、アヘンより効果が高いものの、さらにヤバイ代物でした。 そう、効果と中毒性はワンセットだったのです。 そこで、「モルヒネを化学的にちょっと変化させれば、効果だけ残して中毒性は消せるんじゃね?」という発想に至ります。 そうしてできたのが、麻薬の女王ヘロインです。 ヘロインは、論外なほどヤバイ代物でした。 そうなるとやはり、穏当な茶と砂糖が必要になるのでした。 紅茶は、ドブが……テムズ川や、汚水そ……井戸からくんだ水の臭さを誤魔化してくれるのもグッドです。 ですが、そうなると問題があります。茶の生産国の中国は「お前んとこの商品で欲しい物無いから銀で払え」と言ってくるのです。 当時のイギリスは、重商主義の国でした。 重商主義というのは、輸出によって外国から銀をたくさん集めるのがいい、という考え方です。 それなのに中国は、イギリスが工場でがんばって作った製品を、がんばって売って作った、そんな大切な銀をよこせと要求してくるのです。 それでは、何のために国民が命を削って働いているのか分かりません。 イギリスは考えました、考えて、名案を思いつきました。 「そうだ、アヘンを売りつけよう」 こうして、裏口を使って中国にアヘンを売って銀を回収し、その銀で茶を買うサイクルができて、イギリスはニッコリです。 しかし、禁止していたはずのアヘンを売っているのを見つけた中国は激おこです。 イギリスに文句を言います。 そんな中国を、イギリスは「うわっ、中国さんの木造船、よっわ! 大砲で一撃じゃん、なさけな〜い。ざ〜こ、ざ〜こ。やっぱ、時代は朱子学じゃなくて、科学なんだよね〜。銀いっぱい出しちゃえ」とボコボコにしてしまいました。 必要なのは茶葉だけではありませんでした。 紅茶に入れる砂糖や、工場で原料にする綿花も必要でした。 ですので、イギリスは世界各地に大規模砂糖畑や、綿畑を作っていました。 そうして、自国で作った商品を売って奴隷を買い、奴隷を売って砂糖や綿花を買い、自国に持って帰るという超効率的なサイクルを完成させたのです。 こうして、イギリスはとても豊かになりましたとさ。めでたし、めでたし。 と、産業革命には、後の歴史にすさまじい傷跡を残すほど負の部分があったのです。 スチームパンクでは、そんな負の部分やヴィクトリア朝の文化も描かれるのですが、現代日本人にそういった知識を理解して楽しめというのはハードルが高く感じます。 ですから、日本ですと錆びた鉄や歯車、蒸気機関で動き排煙を上げるスチームパンクなガジェットは出るのですが、世界観がスチームパンクではないという作品が多いです。 宮崎駿の『ハウルの動く城』なんかがこの典型です。 動く城はいかにもスチームパンクなガジェットですが、世界観は戦争してたりするもののファンタジーです。 日本人向けにリライトしたスチームパンクとしては、SQUAREの『ファイナルファンタジーY』などは、蒸気ではなく魔法ですが、スチームパンクの世界観がよく出ています。 なお、日本にも、大友克洋の『スチームボーイ』や、Liar-softのスチームパンクシリーズのように、ガチガチのスチームパンク作品もあります。 僕としては、日本人が一番スチームパンクの楽しさを味わえる作品は、R18作品(本当に申し訳程度)になってしまいますが、ニトロプラスの『装甲悪鬼村正』ではないかと思います。 刀鍛冶のテクノロジーが異常な発達を見せている別世界線の日本が舞台で、時代は江戸末期〜戦後が混じったような時代、パンクな側面が色濃く描かれており、日本式スチームパンクとでも言ってよい作品かと思っています。 おそらくプレイした方は、「このサムライの生きざまとか、戦後、大政奉還あたりの歴史とか、銘刀が登場する興奮とか、この面白さは海外の人には十全には伝わらないよな」と感じるのではないでしょうか? それが本場スチームパンクを日本人が視聴した際に、このチャールズ・バベッジとか、エイダ・ラブレスって誰だよ? なんでこんなに空の黒さの描写が多いの? 階差機関って何? とかいった文化的や歴史的な面白さを共感できない感覚に近しいと思います。 スチームパンクは、読者に対し少々不親切なジャンルなのです。 かと言って、自国の人間は分かっているのですから、丁寧に書きすぎていては興がそがれますし、粋な感じのナンセンスさが失われてしまいます。 そういったバランスの塩梅が難しい所です。 そこで本作では、あえて誰も知らないifの蒸気帝国を作り、それを丁寧に描く事で敷居を下げ、スチームパンクのナンセンスな面白さを楽しんでいただけるよう作ってみたつもりです。 あと、スチームパンクでは蒸気と言えば何でも許されるみたいな風潮があります。 ですから、実用化しなかった蒸気自動車など序の口、蒸気ヘリコプターみたいな物や、蒸気パワードスーツのような物が出てくる作品もたくさんあります。 本作の、シンドバードの蒸気義足もそんなガジェットです。おおらかな気持ちで見てあげてください。 〇蒸気機関 物を燃やすなどで発生する熱エネルギーは、とても簡単に手に入るエネルギーです。 その熱エネルギーを運動エネルギーに変換できれば、つまり、物を燃やせば自分の代わりに仕事をしてくれる装置があればとても便利だと思いませんか? そんな便利な装置が蒸気機関です。 水を熱して水蒸気にすると、体積が1700倍も大きくなります。 体積が大きくなった水蒸気は、拡散しようとします。 圧力鍋を火にかけると、蒸気の力が圧力鍋の蓋を押し上げて開かなくなったり、安全弁を傾けると蒸気が勢いよく噴き出しますが、そういった蒸気の圧力や噴き出す力を利用しようという発想の装置が蒸気機関です。 一般的に知られているのは、ジェームズ・ワット(1736-1819)が1769年に発明した装置ですが、彼が発明したのはあくまで「実用的な」蒸気機関であって、実は本編中で述べたように、ワット以前にも蒸気機関は作られています。 蒸気機関を紹介していきますが、図があった方が分かりやすいと思います。 気になる方は、開発者の名前でインターネット検索してもらえれば図が出てくるはずです。 一応、アルキメデスが砲身状にくり抜いた岩に水を入れて、そこに溶かした金属を注ぎ込むと水蒸気爆発が起きて、アツアツのお湯や金属片が飛んでいくという散弾砲を作っていますが、それはちょっと別枠とさせてください。 初めはアレクサンドリアのヘロン(BC10?-AD70?)、なんと紀元前生まれの人です。 ヘロンが作ったのは、「アイオロスの球」という装置です。 アイオロスはギリシア神話に出てくる風の神の名前で、風の神の力を使った球というネーミングです。 アイオロスの球は、鍋を熱すると発生した蒸気が球に移動します、 すると、球に取り付けられた細いパイプから、勢いよく蒸気が噴き出します。 そうやって解放された風の神の力によって、球はクルクル回ります。 球はクルクル回って……以上です。 アイオロスの球は、蒸気の力によって球がクルクル回るのを見るだけのオモチャ。完全に名前負けです。 ヘロンは、熱エネルギーを球を回転させる運動エネルギーに変換する事には成功したのですが、回転させた球に人間の役に立つような仕事をさせる事はできなかったのです。 こう書くと、ヘロンがただの趣味人に思えそうですが、後の項目で説明しますが、このヘロン、ガチの天才です。 その天才の頭脳をもってしても、熱エネルギーから役に立つ運動エネルギーを取り出すのは難しいのです。 そのように難しいので、西洋で次の蒸気機関が登場するのは1629年。一気に1600年も経過します。 と、その前に関連する発明としてスモークジャックを紹介したいと思います。 スモークジャックというのは、暖炉で薪を燃やすと発生する上昇気流でプロペラを回し、そのエネルギーで串に刺した肉を回転させるなどの仕事をさせることができる実用的な装置です。 肉の片面だけ焼けすぎてしまったという事なく、全面を均一に焼ける便利な道具です。 蒸気は使っていないので、蒸気機関ではありませんが、後の発明に間違えなく影響を与えているでしょう。 このスモークジャックの発明者や年代はよく分かりませんが、中世の発明ではあったようです。 さて、次に登場するのは、イタリアのジョバンニ・ブランカ(1571-1645)の1629年の発明です。 ブランカの装置は、鍋の口を細くして、そこから勢いよく噴き出した蒸気を羽根車に当て、回転させた羽根車から運動エネルギーを取り出すという物。 羽根車というのは、水車等に使われている板が付いた車輪です。 ここで、初めて蒸気からまともな運動エネルギーを取り出す事に成功します。 このブランカの蒸気機関を使って、フェルディナント・フェルビースト(1623-1688)が1670頃に、蒸気自動車を作っています。 手を触れずとも動き出す蒸気自動車は、人々を驚かせました。 はい、ただ驚かせただけでした、これもオモチャ枠です。 この蒸気自動車は燃費が異常に悪い事は想像に難くなく、実用的ではありませんでした。 次いで、フランスのドニ・パパン(1647-1712)の1690年の発明です。 パパンは、圧力鍋の開発者です。 その応用で、筒の中に蒸気を溜め、蒸気の圧力で蓋を上下させるという装置を作ります。 その後の基本となった、シリンダーの登場です。 また、パパンは圧力鍋の開発者という事もあり、シリンダーに絶対必要な物も取り付けました。 それは安全弁。圧力鍋で圧力が十分になるとカタカタと動いて蒸気を逃がす、あの噴出孔と重りです。 安全弁が無いと、容器の耐久力以上の圧力がかかった場合、爆発を起こしてしまいます。 安全弁は、シリンダーを実用化する上で必須の発明でした。 熱エネルギーから、上下運動は取り出せたものの、パパンの蒸気機関はシリンダー自体を熱して、冷やして、また熱してとせねばならず、非常に手間のかかる物でした。 それらは人の手で行わねばならず、初めから人の力で上下運動した方が簡単という実用に足らない物でした。 次が、イギリスのトーマス・セイヴァリ(1650頃-1715)による1698年の発明、火の機関です。 この装置は、毛色が違う仕組みで、タンク内を蒸気で満たしてからタンクに水をかけて冷やし、水蒸気を再び水に戻す事で動きます。 タンクいっぱいの水蒸気が体積1700分の1の水に縮むと、縮んだ分だけ何もない空間が生まれます。 その空いた空間を満たそうとする負の圧力が発生し、その負の圧力がタンクにつながったパイプで水を吸い上げるのです。 セイヴァリの火の機関は、炭坑内での水のくみ出し用に開発され、実際に使われましたが様々な問題を抱えていました。 まず非常に大きい事。タンクの中に水を吸い上げる装置ですので、どうしてもタンクが大きくなります、小屋くらいの大きさがありました。 そして、故障が多い手のかかる装置でした。 また出力も大した事がありません。 負の圧力を利用するという事は、タンク内の圧力と外気圧との差がその出力となるという事です。 1気圧の外気圧と、タンク内の最低圧力である真空の0気圧との差は1気圧。 1気圧ですと、水を10メートルしか持ち上げる事ができないのです。 この装置で深さ30メートルから水をくみ出そうとすると、10メートルおきに小屋ほどもある装置を3つ設置して、手間取る作業を繰り返すという非現実的な作業が要求されたのです。 そして、火の機関最大の問題点は、安全弁が取り付けられていない事でした。 実際爆発事故を起こしています。巨大なタンクが爆発する危険性があっては、とうてい現場で使えるものではありませんでした。 次に出てくるのが、イギリスのトーマス・ニューコメン(1664-1729)の1712年の発明です。 これは、シリンダーに蒸気を送り込んで蓋を上げ、シリンダー内に水を噴射して冷やして蓋を下げるという、パパンのシリンダーを効率化した物です。 これも炭鉱での水のくみ出しだけに使われました。 上下運動というのは、用途が狭かったのです。 ただ、効率化といってもシリンダー自体を冷やしてしまうので、ギリギリ実用化された程度です。 炭鉱で掘り出した石炭の3分の1が、この装置の稼働に消えていったと言われています。 それでも、燃料を現地調達できるので、馬を使って排水した場合にくらべ6分の1のコストで運用できる、西洋で初めての実用的な蒸気機関でした。 満を持して、ワットの登場です。 ワットは、ニューコメンの蒸気機関について、効率が悪いなと常々思っていました。 それで、1769年にニューコメンの蒸気機関の修理を依頼されたのを機に、効率的な蒸気機関の開発に着手します。 ワットの蒸気機関の画期的な点は、2点あります。 1点目は、シリンダー内で蒸気を冷やすのでは無く、シリンダーに取り付けた分離凝縮器の中で冷却するようにして、シリンダーの再加熱に必要なエネルギーを抑えた点。 これによって、およそ4倍の燃料効率を実現しました。 2点目は、連動する2つのシリンダーによって回転運動を取り出した点です。 回転運動は、それ以前にも水車や風車で実用化されておりすぐにでも転用可能、種々の歯車を使えば様々な運動を取り出せると大変便利だったのです。 このワットの蒸気機関は、産業革命を強烈に後押ししました。 その後、ワットの蒸気機関の改良が続きますが、紹介するのは1点だけに留めたいと思います。 ワットの蒸気機関には大きな問題点がありました。 シリンダーが伸びる力は、蒸気の圧力ですので強い力が出せます。 一方で、シリンダーが縮む力は、シリンダー内と外気の気圧差と持ち上がったシリンダー可動部の重さでした。 シリンダーが伸びる力に比べて、縮む力があまりにも貧弱だったのです。 ですので、高出力化するにはシリンダーを大型化するしかありませんでした。 ワットが作成した最大のシリンダーは直系175センチ、ストローク幅270センチというとんでもないサイズです。 そんな蒸気機関の問題を、イギリスのリチャード・トレビシック(1771-1833)が改良しました。 シリンダーに蒸気を送って伸びると、弁も一緒にスライドして蒸気が抜け、今度はシリンダーを押し戻す側に蒸気がたまるように変化するという仕組みです。 シリンダーが戻る際にも弁が一緒にスライドして、戻る際に使った蒸気が抜け、今度はまた伸びる側に蒸気が送られます。 このサイクルを繰り返す事で、蒸気を水で冷やしてシリンダーを縮める必要が無くなったのと、戻る力にも蒸気を使用可能になり、装置の小型化も可能にしました。 この装置は、高圧蒸気機関と呼ばれ、蒸気機関車などもこの仕組みで動いています。 この(比較的)コンパクトでパワフルな高圧蒸気機関によって、蒸気自動車も(一応)実用化されます。 ですが、騒音、排煙、お湯が沸くまで動けない、給水が必要等々の不便さがあり、内燃機関の進歩によって淘汰されました。 そして、大きな転機が1882年にスウェーデンのグスタフ・ド・ラバル(1845-1913)によってもたらされます。 ラバルの発明は、衝突式蒸気タービン、要するにスモーカージャックの蒸気転用です。 いちいちシリンダーを動かさなくても、蒸気を吹き付けてプロペラを回せばもっと単純に回転運動を取り出せるよね、という発明です。 それを、イギリスのチャールズ・アルジャーノン・パーソンズ(1854-1931)が1884年に多段階反動式タービンに改良。 パーソンズの蒸気タービンは、発電所でも使われる実用的な物でした。 そして、アメリカのチャールズ・ゴードン・カーティス(1860-1953)が、1895年に二段階多速式タービンを開発。 これは、パーソンズの蒸気タービンよりも効率は落ちますが、小型で単純なので蒸気船などで活用されました。 そして1898年に、現在の蒸気タービンの直系にあたる物を開発したのが、フランスのオーギュスト・ラトー(1863-1930)です。 と蒸気機関の歴史について長々と解説しましたが、実はアラビアに知られざる蒸気機関がありました。 それが、本作で登場した、タキ・アルディン(1526-1585)の物。なんと1551年の発明です。 権利の関係上、画像を添付する事は難しいですが、模型の画像が掲載されているサイトのリンクを貼っておきますのでご覧ください。 https://100inventionsmusulmanes.net/tag/%D8%AA%D9%82%D9%8A-%D8%A7%D9%84%D8%AF%D9%8A%D9%86/ なんと蒸気タービン式です。 おそらくはこの模型は単純化されているのと、タービンの構造が見えるように解放型になっています。 タキ・アルディンが発明したのは、循環式蒸気タービンらしいので、おそらくは蒸気の噴出孔からタービンを囲うようにフードが取り付けられ、フードから伸びるパイプの先で蒸気を冷やして水に戻し再利用する仕組みのはずです。 ですので、左側に給水用のバルブが付いているのでしょう。 普段はバルブを閉めておき、蒸気がタービン側からしか出ないようにしておいて、給水する時だけバルブを開くわけです。 フードが付いている事で、蒸気が拡散せずにタービンを押し効率よく運動エネルギーを取り出す事もできます。 僕は、これを見て思いました、「んっ? オーパーツかな? 作中でこんな仕組み使えるなら、もう何でもありじゃん」と。 さすがにパーソンズの蒸気タービンには及びませんが、かなり先進的な発明です。 このタキ・アルディンの蒸気機関は、羊の丸焼きを作る際に、串に刺した羊をクルクル回す作業を自動化するという余興に使われて終わりでした。 オスマン帝国が世界に覇を唱える蒸気帝国となる機会は、こうしてついえました。 もしかすると、これが西洋に伝わったのがスモーカージャックなのかもしれません。 なぜ、実用化されなかったのかというのには、必要は発明の母、奴隷にやらせれば良かったので必要が無かったから、と言われています。 ですが、僕としては、当時は回転運動を取り出しても仕事をさせる機械の開発が追いついていなかったり、大部分が砂漠と高原のオスマン帝国では、労働力よりも燃料の方が貴重だったからという理由が大きいように思われます。 それに対して、蒸気機関が実用化されたイギリスでは、燃料よりも労働力の方が貴重でした。 イギリスでは、燃料である石炭が簡単に採掘できたのです。 16世紀には暖房用として石炭が浸透していたという記録がありますし、その数百年前から鍛冶屋や、せっけん職人、石灰職人、製塩業者などは石炭を燃料として使っていたようです。 イギリスではかなり前から、燃料は手軽に手に入るという認識があったのです。 いずれにせよ、オスマン蒸気帝国は誕生しませんでしたが、本作では荒唐無稽なロマンあるエンターテイメントとして描いてみたつもりです。 ついでに、燃料の話を。 蒸気機関には、内燃機関という対抗馬が出てきました。 ガソリンエンジンのような内燃機関は、コンパクトで軽いという、乗り物にうってつけの長所がある反面、ガソリン等でないと動かないという燃料に激しい選り好みがあります。 それに対して、蒸気タービンのような外燃機関は装置自体は大きいものの、雑に強い長所があります。 その長所とは、要は水に熱が伝わればいいので、熱源は何だって構わないのです。 つまり、薪だろうが、石炭だろうがよくて、原子力だって構いません、そして鯨油でも。 鯨油を燃料にするなんて非効率と思えるかもしれませんが、アラビアの事情を考えると、鯨油がにわかに選択肢に上がって来るのです。 まず、アラビアには石炭がほぼ存在しませんので、石炭は却下です。 石炭というのは陸上で、石油は水中で作られた物です。 ですので、石油がよく出るアラビアには石炭が全然無いのです。 なら石油を使えばいいじゃない、となるかもしれませんがそうはいきません。 石油は油、つまり軽いのです。 そんな軽い物が地中にあれば、地表に浮いて来てとっくの昔に分解されています。 そうなっていないのは、石油の上に油を通さない岩盤が存在するからです。 その岩盤がプレートの移動によって、凸状になった所に石油がたまったのが油田です。 つまり、石油を掘り当てるためには、堅い岩盤を掘りぬかなくてはなりません。 これには、ボーリングなどの技術が進歩していないと難しいです。 そして、アラビアで石油開発が遅れたのには技術力以外にも理由がありました。 問題になるのは、油田の深さです。 石油の開発が早い段階で進んだアメリカでは、数十メートル掘れば石油が湧くような浅い位置に油田がありました。 それに対してアラビアの油田は深い位置にあるのです。 世界最大の油田、ガワール油田は深さ2000〜2500メートル、それ以外の油田も深さ1400メートルなど、作中の技術力では掘り当てるのは苦しい深さにあります。 油田を掘れないとなると、岩盤の割れ目から染み出てきた石油くらいしか入手できません、その程度の量では機械の動力にするにはあまりに不足というものです。 そして、砂漠の多いアラビア半島では木も貴重。 というわけで、あれ? もしかして鯨油って、中世アラビアの蒸気機関の燃料として最適? と錯覚していただければ幸いです。 鯨油が、どの程度燃料として有用かは定かではありませんが……。 〇蒸気船 蒸気船の話に入る前に、他の乗り物への蒸気機関の応用についてお話したいと思います。 上の説明で何度か出てきた蒸気自動車(ガーニー、もしくはパッファー)ですが、1771年にフランスのニコラ=ジョセフ・キュニョー(1725-1804)によって作られました。 ワットは、蒸気機関の出力を馬力という分かりやすい数字で示していました。 そして、この蒸気機関は10馬力、つまり馬10頭分の出力があるなどと宣伝していたわけです。 馬10頭分も力があるなら、軍隊で大砲を引く馬の代わりになるんじゃないか? というのがフランス陸軍の発想でした。 こうして完成した蒸気自動車は、パリの路上を最高時速3.6キロ、走行可能時間15分、連続走行距離30メートルという数字を叩き出しました。控えめに言ってクソです。 余談ですが、この蒸気自動車は世界初の自動車事故という不名誉な記録も持っています。 その後、蒸気自動車は改良を重ねますが、それによって分かった事があります。 蒸気機関は、出力に対して重すぎるのです。 ボイラーと水を積まねばならないという仕様上、どうしても重くなってしまい、小型化すれば出力が出なかったり、すぐに水が切れました。 出力が高くても、その出力の大半は重い蒸気機関を移動させるのに使われてしまい無駄が多すぎるのです。 その重さは、致命的なまでに坂に弱いという欠点にも繋がりました。 そんな蒸気機関ですが、乗り物のサイズが大きくなると話が変わってきます。 機関車や、船といった大きい乗り物ですと、蒸気機関の重さが占める割合は相対的に小さくなり、動かすに足るだけの実用性があったのです。 蒸気船の話に移りますが、初めてある程度まともに動く蒸気船が作られたのは1778年、フランスのジュフルワによるものです。 その後、蒸気船の推進方式として様々な方法が考えられます。 初めに考えられたのは、外輪車。 船の中央両側面に、取り付けた水車を回して水をかくという仕組みです。 他にも水平車と言って船底に水平の水車を付けるタイプ、ポンプで水を後ろ向きに噴き出して進むタイプ、現在のようにスクリューで進むタイプが考案されます。 現状、アンティーク感を楽しむ観光用の船等を除けばほぼスクリューが採用されている事から、スクリューがもっとも優れているのはご理解いただけると思います。 しかし、そのスクリューが実用化に手間取っている間に、外輪車の蒸気船が実用化され、蒸気船と言えば外輪車となってしまいました。 蒸気船が完成したといっても、水や石炭を消費して進むので、たびたび補給が必要となり、蒸気機関だけで進むのは燃費がかさむため現実的ではありませんでした。 そんなわけで、海に出る蒸気船には、風力でも進めるようマストと帆が付けられています。 本作のピルム号が蒸気船なのに、帆が付いているのはそういう理由です。 ペリーが乗ってきた黒船も蒸気船ですが、絵を見ると外輪車に加えて帆が付いているのが分かるかと思います。 そんな、燃費の良くない蒸気船ではありますが、帆船には無い、とてつもなく大きな利点がありました。 無風や多少の逆風でもまっすぐ進める事、川の流れをさかのぼれる事、そして何よりも1869年に開通したスエズ運河を通行できる事です。 運河では、進んで、止まって、水量を調整して、といったサイクルを繰り返す必要があります。 そんな器用な動きは帆船には難しかったのです。 コストはかかりますが、アフリカ大陸をショートカットできるこの航路は、茶葉などを輸入するのに使われました。 紅茶は鮮度がいい方が美味しいのです。 そうやって運用された外輪車式の蒸気船ですが、 ・波が高いと船が傾いて片方の外輪が空転して舵が効かなくなる。 ・氷山などに接触した場合に外輪車が壊れやすい。 ・船体中央部という一番いい場所を、機関室が占領してしまう。 などという問題があり、スクリュー式にとってかわられます。 なお、スクリュー式の完成自体は遅かったものの、水をかくスクリューはかなり早い時期に実用化されていました。 開発者はシラクサのアルキメデス(BC287-BC212)です。 風呂に入っている時にアルキメデスの原理を発見して、「エウレーカ!」と叫びながら全裸で街中を走った、あのアルキメデスです。 アルキメデスが開発したアルキメディアン・スクリューは、水をかいてくみ上げるための装置で、多少改良したものが現在でも使われている、超効率のスクリューです。 アルキメディアン・スクリューは、らせん状にフィンが続く構造をしていますが、このまま船に取り付けると長々と続いている部分は水の抵抗になるだけで推進に寄与しません。 そこで、これを短くスパっと切ってやると、1枚羽になりますがスクリューの完成です。 なお、とんがったドリル状のアルキメディアン・スクリューは、現在でも破氷船などで現役です。 さて、これで16世紀に動力である蒸気機関と、推進機構のスクリューがそろいました。 そんなわけで、本作のピルム号はスクリュー式になっています。 〇アレクサンドリアのヘロン(BC10?-AD70?) ヘロンは、数学者としても功績を残していますが、発明の方により才能があったと思います。 ヘロンの発明としては、 ・アイオロスの球  既出の蒸気機関。「アイオロスの球」で動画検索すると出てきます。想像以上の速度に驚くのではないでしょうか。 ・蒸気の力で開くドア  密閉させた容器を火で熱して発生した蒸気の力で、水を別の容器に移動させ、その重さで手を触れずとも開くドア。 ・自動販売機  コインを入れると、コインの重みでレバーが下がり、レバーが下がっている間だけ聖水が出るという聖水の自動販売機。 ・ヘロンの風力オルガン  ギアを付けた風車が回転する事で、連動する楽器が自動的に演奏される装置。 ・ヘロンの噴水  水の位置エネルギーと空気圧を組み合わせる事によって、上部で水が噴出するちょっと不思議なオモチャ。 ・オリーブ圧搾機  ヘロン最大の発明。  本体上部のネジに取り付けられたハンドルを回すと、ネジが下がっていき、下部に付いた板でオリーブの実をプレスし油を搾る装置。  この装置を使うと、女性や子供の力でもオリーブの実に数トンの圧力をかける事ができます。  この装置は、単にオリーブをより効率的に搾るだけに留まらない意味を持っていました。  中世の製紙に使われた紙梳き機は、このオリーブ圧搾機とほぼ同じ形です。  また、プレスをするための板にスタンプを付けてやると、グーテンベルクの活版印刷機に早変わりです。  さらに、この発明にはもう1つ重大な意味がありました。  それが、オスネジとメスネジの発明です。  ネジは、建築の現場では、釘と同じような使われ方をする道具ですが、製造の難度は釘とは比べ物になりません。  釘がはるか昔から使われていたのに対し、建築用のネジは16世紀頃になってようやく出てきます。  というのも、きれいならせん状になるように、ネジの溝を彫るのがとても難しいからです。  しかも、ヘロンが作ったのは一度ねじ込めばいい建築用の物と違って、何度も締めたり、緩めたりする必要がある物です。  ですから、ネジを通すためのネジ穴、メスネジも対になるようならせん状に彫らないといけないのです。  これは、かなり難しい作業です。皆様でしたら、どうやって解決するでしょうか?  ヘロンは、この問題をとてもスマートな方法で解決しました。  直角三角形の型紙を用意して、それを木の棒に巻きつけながら斜辺に合わせて線を引くときれいならせんが描けます。  その線に合わせて溝を彫ればオスネジの完成です。  メスネジの方は、木を半分に切り、そこにオスネジと合うような溝を丁寧に彫れば作る事ができます。  しかし、このメスネジの溝の彫り方はとても効率が悪く量産に向きません。  それに、半分に切った木では、圧搾機の数トンにもなる圧力に耐える事ができないという問題もありました。  圧搾機を作るには、木を切らないでメスネジの溝を彫らないといけないのです。  そこで、ヘロンが取ったアイデアは、さらにスマートでした。  まず、先程作ったオスネジの先の方を、溝の深い部分と同じ太さになるように削ります。  その後、削ったオスネジを、組み上げたメスネジの穴にねじ込みます。  そして、オスネジの削った部分に溝と同じ形状をした、らせん状の刃を取り付ければネジ切りタップの完成です。  この装置を、下穴を開けた木に押し当てて回すと、同じメスネジの溝の形に彫られるわけです。  あとは、同じネジ切りタップと型紙を使えば同様の物が量産可能になるのです。  文字だけですと分かりにくい説明になってしまいましたが、蒸気で回るオモチャを作っただけの人ではないとご理解いただけたようでしたら嬉しいです。 タキ・アルディンもかなりの天才ながら、日本では無名同然ですので紹介したいところですが、彼の発明は文章では説明しづらいです。 英語表記の「Taqi ad-Din」で検索すると、彼の発明を紹介した動画等が出てくるので、気になる方はそちらをご覧ください。 2気筒の揚水ポンプなどは、思わず「おおっ」と言ってしまうできです。 〇参考文献・資料 ・『白鯨 上中下』  ハーマン・メルヴィル著,八木敏雄訳,岩波書店,2012 ・『白鯨』  ジョン・ヒューストン,20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン,2005 ・『白鯨 MOBY-DICK』  夢枕獏,角川書店,2021 ・『白鯨物語』  丸山健二,眞人堂,2013 ・『白鯨』  ハーマン・メルヴィル原作、影丸譲也作画,グループ・ゼロ,2018 ・『まんがで読破 白鯨』  同原作,バラエティ・アートワークス企画・漫画,Teamバンミカス合同会社,2021 ・『モービー・ディック・イン・ピクチャーズ』  マット・キッシュ作・柴田元幸訳,スイッチ・パブリッシング,2015 ・『白鯨との闘い』  ロン・ハワード,ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント,2016 ・『モービー・ディック辞典』  北川悌二,北星堂書店,1981 ・『『白鯨』探求』  堀内正規,小鳥遊書房,2020 ・『【増補版】白い鯨の中へ』  千石英世,彩流社,2015 ・『シリーズもっと知りたい名作の世界11 白鯨』  同編,ミネルヴァ書房,2014 ・『『白鯨』アメリカン・スタディーズ――理想の教室』  巽孝之,みすず書房,2013 ・『『白鯨』解体』  八木敏雄,研究者出版,1986 ・『海獣学者、クジラを解剖する』  田島木綿子,山と渓谷社,2021 ・『鯨人』  石川梵,集英社e新書,2013 ・『ラマレラ 最後のクジラの民』  ダグ・ボック・クラーク著,植原裕美子訳,NHK出版,2020 ・『イルカ・クジラ学』  村山司/中原史生/森恭一編,東海大学出版会,2002 ・『続 イルカ・クジラ学』  村山司/鈴木美和/吉岡基,東海大学出版会,2015 ・『世界で一番美しいクジラ&イルカ図鑑』  水口博也,誠文堂新光社,2018 ・『クジラ・イルカ大百科』  同,阪急コミュニケーションズ,2014(新版第7刷) ・『鯨と捕鯨の文化史』  森田勝昭著,名古屋大学出版会,1994 ・『船乗りシンドバッド』  菊池寛,主婦之友社,1948  青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card43121.html) ・『ヴィジュアル大全 スチームパンク』  ブライアン・J・ロブ著,日暮雅通訳,原書房,2014 ・『エネルギー400年史』  リチャード・ローズ著,秋山勝訳,草思社,2019 ・『近代ヨーロッパへの道』  成瀬治,講談社学術文庫,2015 ・『近代科学の源流』  伊東俊太郎,中央公論新社,2007 ・『アラビア科学の歴史』  ダニエル・ジャカール著,吉村作治監,遠藤ゆかり訳,創元社,2006 ・『図説 科学で読むイスラム文化』  ハワード・R・ターナー著,久保儀明訳,青土社,2001 ・『オスマン帝国500年の平和』  林佳世子,講談社学術文庫,2016 ・『オスマンvs.ヨーロッパ』  新井政美,講談社学術文庫,2021 ・『オスマン帝国英傑列伝』  小笠原弘幸,幻冬舎新書,2020 ・『イスラームから見た「世界史」』  タミム・アンサーリー著,小沢千重子訳,紀伊國屋書店,2011 ・『メッカ』  後藤明,講談社,2021 ・『イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観』  飯山陽,河出書房新社,2019 ・『<イスラーム世界>とは何か』  羽田正,講談社,2021 ・『イスラム芸術の幾何学――天上の図形を描く』  ダウド・サットン著,武井摩利訳,創元社,2018 ・『華麗なる交易』  ウィリアム・バーンスタイン著,鬼澤忍訳,日本経済新聞出版社,2010 ・『スパイス、爆薬、医薬品 世界を変えた17の化学物質』  ペニー・ルクーター/ジェイ・パーレサン著,小林力訳,中央公論新社2018 ・『ねじとねじ回し』  ヴィトルト・リプチンスキ著,春日井晶子訳,早川書房,2010 ・『蒸気船の世紀』  杉浦昭典,NTT出版,1999 ・『海戦』  世界戦史研究会著,ワイズネット,2011 ・『戦場の中世史』  アルド・A・セッティア著,白幡俊輔訳,八坂書房,2019 ・『戦闘技術の歴史2 中世編』  マシュー・ベネット/ジム・ブラッドベリー/ケリー・デヴリース/イアン・ディッキー/フィリス・G・ジェスティス著,淺野明監,野下祥子訳,創元社,2009 ・『古代ローマ帝国軍 非公式マニュアル』  フィリップ・マティザック著,安原和美訳,筑摩書房,2020 他 発行年は電子改訂版の場合、電子改訂の年を表記してあります。